S・ソンタグが『エイズとその隠喩』(富山太佳夫訳、みすず書房、1990)で指摘したように、エイズとは身体的な疾病である以上に社会的な疾病である。未だ有効な治療法が確立されていないのもさることながら、この不治の病が盛んに喧伝された1980年代初頭、大多数の感染者が同性愛者で占められていたこともあって、それが新たなマイノリティ差別の引き金となったからである。その意味では、そのような差別に抵抗するべく組織されたエイズ・アクテイヴィズムは起こるべくして起こった運動と言える。R・メイプルソープとK・ヘリングというふたりのスター作家の死をきっかけにアート・シーンにも飛び火したその運動は、C・オーウェンス(彼もまたエイズ死を遂げたのだった)やD・クリンプらを中心とする『オクトーバー』誌の理論的な援護射撃もあって、短期間のうちにB・クルーガーやC・シャーマンらの先鋭的な作品として結実した。『美術手帖』の1991年6月号は、当時ピークを迎えていた活動を詳しく紹介している。現在では当初の先鋭的な運動は沈静化しており、1994年に横浜で開催された「ヴィジュアル・エイズ・トーキョー」は、エイズ・アクティヴィズムがすでにPCの一環として組み込まれたことを明らかにしたのだった。
(暮沢剛巳)
関連URL
●K・ヘリング http://www.butterbrot.de/haring/keithharing.htm
●B・クルーガー http://www.artcyclopedia.com/artists/kruger_barbara.html
●C・シャーマン http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/people/c-sherman.html
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