「調性」を放棄した様態。その放棄は西欧の伝統的クラシック音楽の主要な枠組みを失うことを意味する。ヴァーグナー以降繰り返されてきた革新の追求は、調性音楽の基盤をゆるがし、その圧力は20世紀初頭に極限にまで押し上げられていた。こうした切迫した要請から、無調への第一歩を踏み出したひとりが、アーノルト・シェーンベルクだった。『3つのピアノ小品』(1909)で初めて全面的無調の作品を発表した後、およそ7年にわたってシェーンベルクが沈黙状態に陥ったことは、その越境がいかに過酷なものであったかを物語っている。シェーンベルクにおいて無調性への移行は、表現に対する必要から生じた。現状に満足する皮相さ、偽善的モラルをもった市民社会に反対し、挑戦的な真実、覚醒した感性を支持する表現主義者、シェーンベルク。この時期に描かれた彼の油絵が「青騎士」グループから好評を博すことはあったものの、無調作品に対する評価は全般的に冷ややかで、厳密な意味で彼を継承したのは、ほぼ2人の弟子アルバン・ベルク、アントン・フォン・ウェーベルンに限られると言ってよいだろう。しかし、この無調性への突入は、様式の多様化、不協和音の解放という大きな可能性をはらむものであり、新音楽にとって第一歩となる出来事であったのだ。
(川那聡美)
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