19世紀的な権威(authority)の源泉としての作者という観念は、20世紀のさまざまな芸術運動で問い直されるに至ったが、美術において特に有名なのはM・デュシャンの《泉》のケースであろう。この「作品」においてはデュシャンは便器を「選択」したのにすぎず、しかも署名はR・マットとなっていたために、デュシャンの作者性は最小限にまで切り詰められるに至っている。また、作者の問題はしばしば自己言及性とともに現われるが、L・ピランデルロの戯曲『作者を探す六人の男』がその一例である。批評理論においてはR・バルトによる「作者の死」をめぐる議論が有名だが、この19世紀的観念の「死」後の現在では、作者性の抹消が目指されるというよりは、むしろ作者の問題が新たに問われるようになってきている。美術ではコラボレーションやパフォーマンスにおける「作者」の問いがあるが、近年では人種やジェンダーを主題化する作家によって、主体の諸問題が作者の問いとともに提示されている。
(石岡良治)
関連URL
●M・デュシャン http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/people/m-duchamp.html
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