プラトンがこの世はすべて絶対不動の存在であるイデアの写しだと論じたときから、オリジナルとコピーの問題は端を開いた。古代ギリシャにおいて、絵画芸術はイデアの写しのそのまた写しであるゆえに、猿の手による模倣であると考えられた。その後何世紀も間、とりわけ芸術作品のコピーとは真作の粗悪な写し、また不法な贋作や偽物という否定的な意味合いでしか捉えられてこなかったといえるだろう。だが19世紀の写真の登場以降、もはやオリジナル/コピーという二元論だけで芸術を語ることは不可能になった。写真および映画といった複製芸術によって、世界で唯一の存在であるという、かつて芸術作品が帯びてきたアウラが消失したことを論じたのはヴァルター・ベンヤミンである。テクノロジーの進化によって、ますます精緻なコピーが可能な今、コピーされるのは何も芸術作品に限ったことではない。遺伝子のコピー、つまりかつての神の不可侵の領域にまで手が届くようになった。
(石田美紀)
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