そもそもは1905年、批評家L・ヴィークセルがサロン・ドートンヌでの展示において、ひときわ異彩を放っていたA・ドラン、H・マティス、M・D・ヴラマンクらの絵画を皮肉った言葉。必ずしもマニフェストによって組織化されていた絵画運動ではなく、またその活動期間も1903年から1908年までと短命だったのだが、その影響は大きく、激しい筆致や大胆な色使いといった彼らに共通する特質は、表現主義という以上に第三世界の美術を連想させるためか、その後「フォーヴ=野獣」派として広く知られるようになった。美術史的には、「表現主義」の色調と「印象主義」のテーマ性を多々共有する一方で、「象徴主義」的な観念性とは一線を画するものとされ、それらの特質は後に「エコール・ド・パリ」や「ドイツ表現主義」にも継承されていくことになる。そしてもちろん、「キュビスム」の色彩や空間構成にも大きな影響を与えたことも忘れてはならない。
(暮沢剛巳)
関連URL
●A・ドラン http://psych.fullerton.edu/psych466/psantiago/derain.html
●H・マティス http://www.artloft.com/matisse.htm
●M・D・ヴラマンク http://psych.fullerton.edu/psych466/psantiago/vlaminck.html
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