1960年代末から70年代初頭にかけて展開され、70年の「人間と物質」展以降大きな注目を集めた日本の美術運動。後年この運動を回顧した批評家峯村敏明は「1970年前後の日本で、芸術表現の舞台に未加工の自然的な物質、物体を、素材としてでなく主役として登場させ、モノの在りようやモノの働きから直かに何らかの芸術表現を引きだそうと試みた」運動と定義した。学園紛争の世代が中心のためか、学閥によって系列化されており、この運動の始祖と目される関根伸夫をはじめ、小清水漸、菅木志雄、成田克彦、吉田克朗ら斎藤義重の門下生に、主著『出会いを求めて』で運動のプロパガンダを担った李禹煥が加わった「李+多摩美系」、榎倉康二や高山登の「芸大系」、原口典之らの「日芸系」の三派がある。理論的には現象学の影響が強く、また同時代の「ミニマリズム」、や「アルテ・ポーヴェラ」などとの類似も指摘されるが、後の世代に極めて大きな影響を与え、また海外での知名度も高い。95年に全国を巡回した「1970年――物質と知覚」展は、この動向が戦後日本の美術運動のなかでもきわだって重要であることをあらためて印象づけた。
(苅谷洋介)
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