「ポストヒューマン」という言葉が美術界で国際的な話題を集めたのは1992年、J・ダイチが企画した同名の展覧会がスイスやイスラエルを巡回したときである。M・ケリー、P・マッカーシー、太郎千恵蔵といった作家が同展に出品していた作品は、いずれも人工的な身体イメージを強調した「ロボット的」なものであり、同展カタログの中でダイチは「現在のポストモダン状況は、将来のポストヒューマンへの過渡的なものだ」と述べていた。ただこれは、ポストヒューマニズムの核心を生身の身体からロボットへの移行に見た粗雑な議論であって、その核心は人間の主体がどこに譲り渡されるのかを周到に論じたものでなければならない。その点できわめて示唆的なのが、アメリカの建築史家M・K・ヘイズの『ポストヒューマニズムの建築』(松畑強訳、鹿島出版会、1997)である。H・マイヤーとL・ヒルベルザイマーを論じた同書で、ヘイズはバウハウスやダダ、あるいは表現主義のデザイン原理がいずれも人間の主体の問題と強く関連しており、その問題は戦後の1960年代以降、主体のポストヒューマニズム化という形で顕在化してきたことを力説していた。もちろんこの議論は、さらに後年のポストモダンへもつながっていく。
(暮沢剛巳)
|