世界デザイン会議の中心的推進者、デザイン評論家の勝見勝は、1964年に開催された第18回オリンピック東京大会の総合プロデューサーとなり、デザインポリシーの統一を図った。デザイナー亀倉雄策と写真家早崎治により、当時まだ使われ始めたばかりのストロボを用いた陸上競技のスタートダッシュの瞬間をとらえた当時の最先端印刷技術であるグラビア印刷のポスター(1961)は、海外でも高く評価された。また、勝見は国際行事に初めてピクトグラムを導入し、その後のオリンピックおよび万国博覧会の先鞭をつけたものとして高く評価されている。建築・都市計画は、東京大学教授高山英華が、道路を含む全体計画のプロデュースを行なう。丹下健三が国立総合体育館を、駒沢体育館を芦原義信が、選手村食堂を菊竹清訓が設計するなど、新築と既存の建物を混合させながら整備を行なった。インフラの整備も急ピッチですすめられ、東海道新幹線、東京モノレール、名神高速道路などが、開催間際に次々開通する。このオリンピックは都市インフラの整備の端緒をつけたとともに、モダニズム建築の代表作と公園緑地を残したこととともに、東京への一局集中を加速させ、さまざまな意味で現代都市東京の礎を築いた。
(紫牟田伸子)
関連URL
●亀倉雄策 http://www.momat.go.jp/Kamekura/catalog.html
●丹下健三 http://www.lc.tut.ac.jp/project97/group6/tange-j.html
●芦原義信 http://www.pref.okayama.jp/doboku/kensido/cto/p17sekkeisyapurofihru.htm
●菊竹清訓 http://www.kikutake.co.jp/
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