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なんだか建築的な作品が多いなあ…… 「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003」を見て 村田真 |
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「大地の芸術祭」は、新潟県南部の6市町村にまたがる計762平方キロメートルの越後妻有地区でおこなわれている。出品作品は今回のためにつくられた新作だけで150件を超し、3年前の第1回展から残されている旧作をくわえれば約220件という膨大な量におよぶ。 今号の「展覧会レビュー」でもお伝えしたように、筆者はオープニングに合わせて2泊3日のツアーに乗ったにもかかわらず、見ることができたのは全体の半分にも満たなかった。弁解するわけではないが、広大な山野に作品が散らばっているうえ、その時点で未完成だったり期間限定の作品もあって、1回ですべてを見るのはしょせん不可能なのだ。したがって以下に記すのは、当然ながら筆者が見たり体験した範囲内での感想である。 「建築」ではない「建築的」作品
「建築的」とはまず第一に、外観が家のかたちをしていたり、内部に入れる構造をもっていること。地区別に見ていくと、十日町市では、なんといっても棚田に泥壁の砦のような構築物を住人とともに築いた古郡弘《盆景──II》が圧巻。そのほか、市街のビルの屋上を赤いカーテンで仕切り、見晴台のようなスペースを設けたキム・ソラ/ギム・ホンソック《ルーフトップ・ラウンジ》、真っ白で異様に細長い屋台を制作し、あっちこちに出没して店を開いた筑波大学芸術学系貝島研究室+アトリエ・ワン《ホワイト・リムジン・屋台》などがある。ワークショップで子供たちといっしょに十日町の街並を再現した磯崎道佳《3年後に向けた伝言ゲーム2003》も、ここに含めていいかもしれない。 川西町では、人ひとりが入れる小屋の内壁を黒く塗り、外景を見渡せるように小窓をしつらえた母袋俊也《絵画のための見晴らし小屋》、竹の骨組に和紙を貼ってドーム状のシェルターを建てた大久保英治《天と地の間の場──渋海川──2003》など。 津南町では、おとぎの国の家のように小さな建物を陶土でつくり、約1ヶ月かけて焼成したキム・クーハン《かささぎたちの家》が人気を集めていた。また、3年前に中国から登り窯を移築した蔡國強《ドラゴン現代美術館》では、そのオープニングとして「キキ・スミス展」を開いている。 松代町では、大小7個の倉庫を並べて内部をのぞかせる小沢剛《かまぼこ型倉庫プロジェクト》、棚田に四角い枠を設け、向かい合わせに座れる椅子を設けたチャン・ユンホ+非常建築《米の家》、半透明の円筒のシェルターをつなげたハーマン・マイヤー・ノイシュタット《WDスパイラル・パートIII マジック・シアター》、商店街に面する1軒1軒の外壁を土壁に改装していく村木薫《松代商店街周辺における土壁による修景プロジェクト》、小さな集落の集会所としてカマボコ型の建築を建て、内部を鮮やかな壁画でおおったジャン=ミッシェル・アルベローラ《リトル・ユートピアン・ハウス》など、バラエティに富んで数も多い。 松之山町では、道端に野菜の無人販売所または休憩所として使える木の小屋を点在させた川俣正《松之山プロジェクト》、看板としても展望台としても機能する高さ20メートルの構造体をつくった、ジョン・クルメリング《ステップ イン プラン》(テキストデザイン=浅葉克己)などがある。 廃屋を利用したり、土地を作品化したり もちろん3年前にも建築的作品がなかったわけではない。だが前回はそれ以上に、たとえばイリヤ&エミリア・カバコフ《棚田》や、ゲオルギー・チャプカノフ《カモシカの家族》などのような牧歌的な彫刻や、田中信太郎《○△□の塔と赤とんぼ》や藤原吉志子《レイチェル・カーソンに捧ぐ〜4つの小さな物語》といった、いわゆるパブリックアート的な作品がめだっていた。今回そのような作品が草間彌生《花咲ける妻有》を例外として激減したことに、3年間の時代の流れの早さを感じざるをえない。しかしそのことに触れる前に、今度は少し違った「建築的」作品を見てみよう。
蛇足ながら、筆者は見逃してしまったものの、この種の作品では彦坂尚嘉《田麦集落42戸物語》と、中瀬康志《儀明/劇場》の評判がよかったことを、これから見に行く人のためにつけくわえておきたい。 もうひとつ、「建築的」とはいいがたいけれど、アースワークのように土地にべったり貼りつくような形態の作品群がある。これは建築やパブリックアートのように大地から屹立するわけではないが、土木工事や造園事業に近いという点で広く「建築的」カテゴリーに含めていいだろう。 たとえば、土を盛って巨大な象形文字を刻んだたほりつこ《グリーン ヴィラ》、川の流れを変えて田んぼを造成するこの地域特有の《瀬替え》を、10分の1のスケールで公園に再現した春日部幹《20 minutes Walk》、津南町に残る石垣の庭に鉄板を敷いた海老塚耕一《水と風の皮膚》、3色の花を植えて遠く展望台からながめるステファン・バンツ《私たちのための庭園》、産廃場だった敷地をコールテン鋼の壁でおおって公園にし、禅庭やブランコをしつらえたカサグランデ&リンターラ建築事務所《ポスト・インダストリアル・メディテーション》、信濃川の侵食によってできた崖に足場を組んで地層を見せる磯辺行久《信濃川はかつて現在より25メートル高い位置を流れていた》、長期にわたって棚田のような花壇の公園をつくってきた土屋公雄《創作の庭》などだ。 ちなみに、カサグランデ&リンターラは建築事務所と称しているようにれっきとした建築家だし、春日部も建築家だ。また、海老塚も土屋もアーティストとして活躍しているが、大学では建築を専攻していた。 「不動産美術」への回帰?
もうひとつ、建築的な志向には、このトリエンナーレが全国各地でおこなわれているような「野外美術展」とは一線を画し、国土交通省がらみの公共事業に位置づけられているという背景がある。実際、カサグランデ&リンターラをはじめとする上記作品のいくつかは、公園整備事業の一環として予算が下りているのだ(余談だが、この事業全体の総予算は野外美術展としては破格の3億円にものぼる。ただしどう計算しても、それで内外157組のアーティストの作品すべてをまかなうのはとうてい不可能だ)。 ところで筆者は、ほかに呼びようがないのでこの「大地の芸術祭」を「野外美術展」としたが、そのような位置づけはこの事業を矮小化するものでしかないだろう。かといってこれを「地域活性化事業」とか「アートによる村おこし」と呼んだら、なおさら矮小化することになりかねない。とにかくいえることは、これが空前絶後の試みだということである。 話を戻そう。作品の建築的志向について、最後にまったくの個人的見解を述べておきたい。それは、筆者が勝手に呼ぶところの「不動産美術」への回帰現象ではないか、ということだ。 「不動産美術」への回帰(美術の「不動産」回帰といったほうがわかりやすいかも)とは、近世以降の美術が動産化し商品化することで、美術館で鑑賞するだけの価値しかもたなくなってしまったことへの反動であり、それ以前のラスコーの洞窟壁画や教会のフレスコ画のように、土地や建物と一体化した美術形式(=不動産美術)に立ち返ろうとする動きにほかならない。だとすれば、その作品形態はおのずと建築的になるか、土地そのものを造形化する方向に向かうはずだ。とりわけ古郡、キム・クーハン、アルベローラ、たほ、土屋らの作品にそのような志向を感じる。 「不動産美術」はまた、美術が本来その土地に根ざした「サイトスペシフィック」なものであったこと、それゆえにその地域の人たちにとって公共的な財産になりえたことを教えてくれる。このような「不動産美術」への回帰の動きはいまに始まったものではなく、私見によれば60年代末のアースワークあたりから徐々に進行していた。それが越後妻有という個性あふれる「大地」とそこに暮らしてきた人々に出会うことで、いっそう明確化したのがこの「大地の芸術祭」だったのではないか。そして、3年前の第1回展は試行の段階を経て、第2回の今回ようやくあるべき真の姿を見せ始めたといえるのではないだろうか。
[むらた まこと] |
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