|
『ブブ・ド・ラ・マドレーヌ展「甘い生活 LA DOLCE VITA」』
木ノ下智恵子 |
|||||||||||||
| 過去から現在、永きに渡る人類の歴史上、芸術は元よりあらゆる側面において、性的存在である人間=私/他者の在り方や関係について考察されてきた。 この最も個人的で根元的なリアリティーについて、様々なシーンで今を生きる同時代の意識を反映させている表現者がBuBuである。アーティストユニット「ダムタイプ」他におけるパフォーマー。アーティストかつセックスワーカーである3人のユニット「バイターズ」。エイズについて必要な情報を提供する社会運動のグループ「エイズポスタープロジェクト」。セックスワーカーの健康について活動する「スウォッシュ」。クラブでのドラァグクイーンショー。展覧会や大学などでのセイファー・セックスのレクチャーショウなど、彼女の活動は多岐にわたる。
ギャラリー空間の隣り合う左右の壁面に時間差で流れる二つの映像、その2種の映像の関係を示唆するテキストやドローイングによるインスタレーション。ここではこれまで彼女の活動の中核にあったセックスに関する直接的な表現は一切出てこない。むしろ、それらを通じて得た心的/感覚的な残像を紡ぎ出す心象風景だ。 メイン映像の一つは、真っ白な画面に記される友人の死にまつわるテキストから始まる。その告白にも似たモノローグから、1本のバラ=友人の化身とのある種のロードムービーへとシフトする。カフェやメトロなどで記念のスナップ写真を撮り、そして最後に訪れた橋の上から、友人への思いを断ち切るかのようにバラを川に投げ入れる。テキスト、写真、アニメーションを組み合わせた12分ほどの映像は、故人との思いを回想するためのセンチメンタルな旅の日記であり、耐え難い死を受け入れるための儀式のようだった。
この2つの映像からなる『甘い生活』は誰との営みなのか。 愛する者の声を聴き、面影を写真にて持ち歩く。昨今のメディア環境は、何処にいても身近に愛する者の影を会得することを可能にしたが、しかしそれらはすべて実体ではない。そのイメージとしての対象を皮膚感覚、血液の流れ、体温などによって実感する。このメディアとしての身体とテクノロジカルな装置と共に新たな愛の可能性を模索したダムタイプの『S/N』('93〜'96年)で、BuBuは「花電車」というストリップの伝統芸を「アマポーラ」の調べにのせた幻想的なシーンによって幕を閉じた。このダムタイプの中心人物であり、BuBuにとって何ものにも代え難い存在の古橋悌二氏が'95年の10月に亡くなった。
この“あなた”について考え、その関係と向き合うことで表明される“私=BuBu”。 「私は表現する前に片づけなければならないものがあると感じています。それは、表現する自分は何なのかということ」※2と語る彼女が、日本人として、女性としてではなく「私」という不確定なものに対するアイデンティファイの試みとして『甘い生活』があるのかもしれない。いずれにしても今回の個展はごくパーソナルな視点による態度表明という点において、これまでのある種ラディカルな活動とは一線を画していた。 アーティスト、アクティビスト、セックスワーカー≠BuBuの今後の展開、ますます期 待される。 ※1『ブブ・ド・ラ・マドレーヌ展「甘い生活 LA DOLCE VITA」』より ※2『神戸アートアニュアル2000 裸と被』(神戸アートビレッジセンター)ゲスト トークの記録集より
●学芸員レポート 年度末にあたる2、3月は、企業、学校などあらゆる組織で1年の総決算が行われる。この時期、いわゆる1年のスパンではなく、学生時代から実社会へと羽ばたく(?)通過儀礼として、関西の美大・芸大の卒業制作展があちこちで行われる。 美大・芸大が多い京都では、主に京都市美術館で約2ヶ月の間に1週間単位の短いスパンで各大学の卒展が開催され、これにあわせて周辺のギャラリーも学生達の個展やグループ展が目白押しだ。 昨年開催された『横浜トリエンナーレ』で日本のカッティングエッジを担ったアーティスト=束芋の「日本の台所」は彼女の修了作品として卒展で発表されたものであり、作品の完成度という点で郡を抜いていた衝撃は今も忘れない。 未完の美の宝庫としての卒展に新たな出会いを期待しながら、私は若手アーティストを対象とした事業(「神戸アートアニュアル」)のリサーチを含めて、時間の可能な限り京都、大阪などへ足を運ぶようにしている。 いずれの学校も洋画、日本画、版画、彫刻などの専攻ごとに展示空間が区画され、個々の成果はいわゆる見本市のように限られたスペースに一斉に並べられる。 學びやでありアトリエである学校で制作された作品を別の場所に移送して展示する。中には慣れ親しんだ学校内で展示されることもある。いずれにしても創ることに没頭し続けた結果を他者に見せるという目的には変わらない。この時、作品の善し悪しや印象に深く関与するのが展示空間である。 卒展ではこの重要な事実に関する意識があまりにも希薄に感じられる。確かに与えられたフォーマット内で数多くの未成熟な作品群をしつらえなければならないという問題はあるが、展覧会というメディアを発表形態に選んだ以上、鑑賞者に対する配慮が成されるべきではないだろうか。 学校体制あるいは個々の創り手のそれぞれが、アーティストは作品の創り手であり一番最初の鑑賞者でもあることを認め、また、毎年、輩出される美大・芸大卒業生の行く末は“アーティスト”だけではなく、むしろ芸術環境を整備する人材が必要とされていること熟慮しなければならないと思う。 自称アーティストが飽和状態で受け手が不在という、需要と供給がアンバランスな状況を打破する意味も含め、発表形態や広報などのアートマネジメントの側面を視野に入れたシステムの構築が必要だろう。 事実、ここ数年、大学の生き残り戦略として独自性のある学科が新設されている。また、これまで実社会の蚊帳の外であった学校が、地域社会に根ざした機関として機能することを証明するかのように、一般公開型の講座・ワークショップの開催や学外での展覧会など、数多くの試みが実施されている。こういった外部への新たな展開は今後も様々に仕掛けられるであろう。 ならば、学校本来のベーシックな行事として催される“卒展”を学生達の成果を世に知らしめる最も有効なメディアとして再生させることはできないのだろうか。アーティストとアートマネージャーの卵達の有益なコラボレーションの場としての“卒展”のあり方が期待される。 温故知新、新たな策を練ることも必須だが、既にある物事を再検証することもまた必要。かく言う私もおざなりになっていた残務処理に加え、家探しと引っ越しという究極の私事までおまけについて、日々何かに追われている。1年の後始末をきっちりとつけて新生活をスタートさせたいものだ。 年度末、様々なシーンで新年度を迎えるべく節目の何かが起きている……。 [きのした ちえこ] |
||||||||||||
|
|||
|
|||
|