|
昼下りの所蔵作品展/美術館物語
南 雄介[東京都現代美術館] |
||||||||||
|
●昼下りの所蔵作品展 少し逆説的な言い方ではあるが、「美術館」というものが展覧会の主題としてアクチュアルな意味を持つような状況というのは、まさに美術館というものの存在や意味が揺らいでいる時代の徴候であると言えるのではないだろうか。行政側からは「お荷物」視され、観客からは関心をもたれず、現代作家からは敵視されるなかで、美術館についてもういちど考えなおし、自らの立ち位置をはっきり定めなければ、とまあ、美術館に携わる者ならばおそらく誰で思っているのではないか。たとえば昨年、東京国立博物館表慶館で開かれた展覧会「美術館を読み解く――表慶館と現代の美術」(2001年1月23日〜3月11日)が、ちょっとした話題を集めたのも、このような事情を背景としているのだろう。この展覧会は、展示空間の問題を日本の近代史の中で考えるという問題意識を、現代作家のインスタレーションを通じて展開しようとしたものであったが、今月(3月)は、コレクションを手がかりとして美術館に迫った2つのすぐれた展覧会を見ることができた。 また、李禹煥の版画が水平に展示してあったのも興味深かった。たとえばジャクスン・ポロックや白髪一雄を考えれば明らかなのだが、ジェスチュアルな絵画の垂直/水平の転換は、アクションの場(フィールド)から絵画空間としての場(フィールド)が生成される重要な契機である。そして、画面の構成要素が垂直であることから見逃されがちではあるが、実はそれは李禹煥にあってもそうなのだ。水平に置かれることによって、それがはっきり示されていた。
全体は5部構成で、「序章 『さいたまきんび』は20年歩んできました。」「第1章 作品は美術館に入って大切にされます。」「第2章 作品は展覧会のために旅をします。」「第3章 作品は展示によって生かされます。」「終章 学芸員は次の展覧会の準備をしています。」の5つのパートに分かれている。美術館の前史や主だったコレクション、展覧会の歴史をたどる序章、作品の購入と保存修復にあてられた第1章、輸送と展示について語る第2、第3章、展覧会の企画と準備の作業を見せる終章、という具合である。そしてそれぞれのパートで、観客は美術館の、いわば「舞台裏」を知ることができる。たとえば、作品の正当性や真贋を知るための道具の数々、カタログレゾネや売り立て目録、展覧会カタログ、アトリエの写真、作家の日記、印譜、落款、鑑定書、等々が、実際の所蔵品に即して、それぞれ実物が展示されている。これらは、作品を語るひじょうに興味深いドキュメントであるとともに、学芸員の仕事のディテールをも伝える。美術館で仕事をしている人間でなければ初めて知ること、初めてみるものも、多いのではないだろうか。そして、私たちのような同業者にとっても、一種の「家風の違い」のようなものが感じられて、また別様の面白さがあったのである
●学芸員レポート 現在は、今年の8月10日から開催予定の横尾忠則展の準備に追われる日々です。今度の横尾忠則展は、「森羅万象」と題した、今までで最大の規模の回顧展で、400点近い数の作品が出品される予定です。去年の秋から、作家の横尾さんをまじえたミーティングをくり返し、ようやく展示プランと出品リストが固まってきました。と、気がつけばもう、オープンまで4ヶ月しかありません。パブリックなコレクションにはそろそろ出品交渉を始めていますが、本当はもう遅いくらいなのです。関連イベントやカタログの詳細も決めなければならないし、しなければならないことは山のようにあるのです。 いつでもそうなのですが、個展の準備期間中は、作家とかなり頻繁に打ち合わせや電話の機会を持つことになります。これはやはり、生きている作家の展覧会をするときの醍醐味で、作品や芸術についての考え方から、日常的な生活や人生のディテイルまで、普通なら分からないことまで知ることになります。 では、展覧会の前宣伝をしておきましょう。今回の展覧会は、横尾忠則さんのこれまでで最大規模の回顧展です。大きな絵が、1回じゃ見切れないくらい、すごくたくさん出ますよ。そして、数年来の懸案だった大作も準備中です。また、新しい大プロジェクト「トレビの泉」のマケットも初公開されます。イベントも盛り沢山で、毎週のように計画しています、乞うご期待! [みなみ ゆうすけ] |
|||||||||
|
|||
|