●コンテナプロジェクト
倉敷芸術科学大学芸術学部の濱坂渉研究室では、授業の一環として例年学外展を実施している。
商店街であったり神社であったりと、例年ユニークな場所で開催されてきたが、今回は昨年4月から同校で非常勤講師を勤めるヤノベケンジさんが基点となって「コンテナプロジェクト」として実施された。
これは鉄道輸送用コンテナを用い、それに収納できる作品を制作したうえ、コンテナごと輸送して、コンテナとその周辺を展示空間として展覧会を実施しようというもの。
学生は授業科目として履修する3年生が主体。絵画、彫刻、映像といった主専攻にとらわれず10名ほどが集った。
濱坂、ヤノベ両教員はコンテナを確保した後は、丁寧に学生たちに対応しながらも、あくまでプロジェクトの行方は学生たちの手にゆだねた。両教員にとっては、自分たちが問題点を挙げ、整理し、解決していったほうがはるかに手もかからないだろうが、あくまでプロセスそのものが課題という態度がさすが両教員の作家としてのキャリアを感じさせる。
もっとも、他のカリキュラムに追われプライベートも忙しい学生たち、それも3年生主体の学生にとって
(1)全員の意思疎通を図り、コンセンサスを作りながら
(2)作品を制作したうえ
(3)収納、展示のスペース割り当てを行い
(4)そしてなによりも巨大なコンテナを輸送・設置して展覧会を実施するスペースを自分たちで確保
(5)そして広報、展示などの諸作業
というのは、かなり困難な課題。
とくに昨今の学生にとって(1)は強敵。そのうえ(2)や(4)やの進捗状況にうお〜さお〜するであろうから、もう開催に漕ぎ着けただけで及第点。◎(にゅじゅうまる)あげる。
学生たちにとっては、こうしたプログラムを通じて一度早い時点で他者との共同作業の困難に直面するのはほんとうによいこと。そして今回はこけても、そのうまくいかなかったところを分析して、今後に生かせばよいのである。なので、以下には私なりに気がついた、うまくいってなかったことを書きとめておこう。
会場は倉敷市の水島コンビナートに通じる高架鉄道の駅前の空き地。
やはりはじめは大原美術館周辺の伝統的な建築群が残る美観地区やら倉敷駅近辺の中心市街地を目指したようだが、それはかなわず。いくつかの候補地も、決まったと思ったら断られたりと、やはり悪戦苦闘だったようだ。
それゆえ大きなコンテナを置ける会場が見つかっただけでも幸い。かえって、コンビナートに向けて道路も広い会場を得られたことで、コンテナを運び込むためのトレーラーのアクセス道路の確保などの問題を抱え込まなかったわけである。
さて、この草ッパラの会場は広い。おまけに駅前ロータリーの中心に設置された新宮晋ばりの、風でグルグル回る大きなオブジェが否応なく眼に入る。
でも学生たちの作品は、そんな広さも、大きなオブジェも、それに他の学生作品も眼に入らないかのように、各々が「ここが私のゾーン」と互いに関わり合いをもつことなく、こじんまりとおかれている。
みんなもっと周りを見ようね。
もっとも学生たちが、その広大な敷地と、学外に出てきた利点に気づいて実施したことがある。それが近隣住民(子供)向けのワークショップ「ダンボール大作戦」。
でもね。そりゃね。こんな広いところで、好きなだけダンボール使って家を作ったり、お絵かきしたら楽しいよ。けどね、それを企画して一緒にお絵かきするだけなら、べつに美術大学の学生じゃなくてもできるんじゃない?高い授業料払って学んでるなら、せめてもうひとひねり、その先を……。
っと、昨今岡山あたりでも増えてきた、場や材料だけしつらえて、「ともかく楽しく作りましょう」で終わってしまうワークショップに、ちょっとうんざりぎみの私。
もちろん作ることの楽しみに触れるための導入としては、このレベルのワークショップが提供されるのは有益なこと。それに学生にとっても、一人で作品作るより、子供たちと直接コミュニケーションをとったほうが、はるかに楽しいし、何かやってるリアリティーがある。実際に、全体ミーティング後にヤノベ先生が丁寧に一人ずつと話し合う場に一緒にいさせてもらった時に、作品もけっこう良い学生の一人から聞いた言葉。
「作品を作ってる時は何しているのか、何したいのか煮詰まったけど、子供たちとダンボールしてる時は、すごく実感があった」
確かにそのとおりなのです。そしてこうした活動を通じて自分自身を見出していく学生が多いのも確かなこと。またあくまで作品づくりにこだわっていくタイプの作家にしても、社会と自分とを結ぶ足腰を鍛えるためにも、こうしたワークショップを通じて多くの人とコミュニケーションを持つことは必要なことです。
ただ、こうしたワークショップを作品制作からの安易な逃げ道にしないこと。そしてこうした他者とのコミュニケーションそのものを自身のアート活動の主題に据えるなら、あくまでそのクオリティーにこだわること。いくら目の前の子供が喜んでくれて、そしてそこに自分の存在のリアリティーを認めやすいからといっても、けしてこの二つは忘れないでね。
会期と内容
会期:3月1日(日)〜3月10日(日)
会場:水島臨海鉄道栄駅前広場
主催:倉敷芸術科学大学環境造形ゼミコンテナプロジェクトチーム
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●特美49年 今、を観る展
まずはダイレクトメールに書かれた文言をそのまま。
「特美」が昭和28年に開設されて以来、49年の間に1,000名を超える卒業生を輩出してまいりましたが、本展はその中から推薦された約160名が出展しています。
出展者それぞれの“今”を表現した作品を通して、この「特美」という過程が地域社会といかに関わりを持ち、どのような役割を果たしてきたのかを明らかにしたいと思います。
「特美」とは、岡山大学教育学部に設置された美術教員養成課程の通称。高校教員をも養成できるように設備や教員を厚く配することができる過程として昭和28年に設置される。当初は「特設美術科」その後「特別教科(美術・工芸)教員養成課程」が正式名称。またカリキュラムの多くが重複する小学校過程も併置されるが、これらは特美とは微妙な距離を置く。岡山県内の教員、とくに中学校教員においては、特美出身者が圧倒的なシュアを占める。
さて、もっとも。
近年では学校教員の就職口もあまりに狭き門。それに大学そのものの改革もあって、いわゆる特美は本年3月の卒業生をもって解体することとなった。それゆえその存在を改めて検証しようと結成されたのが「岡大特美を検証する実行委員会」。そして今のところその唯一の活動がこの展覧会。
あれ?
特美って、表現者(アーティスト)養成の課程だったっけ??
特美を検証するために、そして特美が「地域社会といかに関わりを持ち、どのような役割を果たしてきたのかを明らかに」するための手段は、卒業生の作品展なんだ???
それにどうも小学校教員養成課程は除外らしいぞ。
展覧会用のダイレクトメールには年度ごとの卒業生の名前が全員掲載されている。
まあいいか。
でも出品作がいっぱい散りばめられている展覧会用のポスターを見て僕は思った。
「特美にとって一番大切な作品(って言ったら失礼だけど)は、生徒たちじゃないの?
せめて一齣でも生徒がにっこり笑った顔でもあったらな〜」と。
選抜された160名の作品が雑多にならぶ会場を僕はひとつずつ出品者を確認しながら歩いた。そしてようやく岡山養護学校に勤務する先生方が連名で生徒作品を出品しているのを見つけてようやくホッとした。
会期と内容
会期:3月12日(火)〜3月17日(日)
会場:岡山県総合文化センター
主催:岡大特美を検証する実行委員会 |
●学芸員レポート
岡山県立美術館で開催された「戦後岡山の美術 前衛たちの姿」でも主要な作家として取り上げている寺田武弘さんが会期をあわせるように倉敷のギャラリーで個展を実施した。
独学で絵を描き始め、ついで木彫を手がけ、さらに大規模な石彫と展開してきた寺田さんは、作品制作だけで生計を営んできた筋金入りのプロだ。
県立美術館での展示では、昭和30年代の木彫作品の展開を追い、1970年以降に手がけた、板に手回しドリルで穴を開け木屑をそのまま散乱させる『変位』シリーズを展示したが、個展ではそれに先立つ絵画作品や木彫のエスキース、県立美術館出品作と同時期の木彫の様々なバリエーション、そして現在手がける石彫の小品を展示。さらに会場に寝泊りして石畳を制作していた。
会期中何度か足を運び、県立美術館と個展との作品を合わせ見るに、実にその歩みをいきいきと実感することができた。
それは寺田さんも同様であったようで、なぜ自分が絵をやめて木を手がけるようになったのか、そして木をやめて石になったのかを、たんに経済的な理由や、突発的な思いつきでない、それを突き動かす必然的な理由を自分なりに理解したことを僕に語ってくれた。
展覧会や美術館はみんなのものと常々思っている。
それは観客のみなさんであり、また今を生きる作家のみなさんのものだと。とくに作家に対しての場合、その作品を多くの観客に向けて公開するというだけでなく、その展示作品が立ち返って作家自身に刺激を与えてこその美術館であると。あるいは他人の作品であろうと、作家がそこで自分の制作を振り返る刺激やらゆとりを享受できる場でありたいと。
それゆえ寺田さんの言葉は、僕にとっても、やっとひとつ仕事ができたかなと、とても嬉しかった。
寺田武弘展
サロン・ド・バンフォー
3月4日(月)〜3月17(日)
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