|
中西夏之《柔かに、還元》の絵画/思索 展
南 雄介[東京都現代美術館] |
||||||||||
|
●中村一美 Painting 中村一美のひさしぶりの南天子画廊での個展は、前後期2期に分かれていて、200号以上の大作4点がそっくり入れ替わるという。今年9月にはいわき市立美術館で、1999年のセゾン現代美術館に続く美術館規模の個展が開催される予定になっており、非常に精力的な制作の状況がうかがわれる。 実際、近年の中村の絵画作品は、まさにハーヴェスト・イヤーズと言うにふさわしいような時期を迎えているようだ。もともと色彩の感覚と扱いは絶妙な画家だったが、〈採桑老〉シリーズを始めた頃から、力で画面をねじ伏せる緊張感に、柔らかな自在さの感覚が加わるようになった。メタリックなピンクやエメラルドグリーン、紫、オーカー、えんじ、等々、ときには鮮やかな、ときには沈んで渋い、色彩が思いもかけぬ組み合わせで交錯する。だが、中村においては、色彩はけっしてイリュージョンの陶酔境を導くものではない。色彩とともにかならず絵具という実体あり、それが絵画の身体を維持するものであることに、作家はつねに自覚的であるように思われる。自由と束縛、規則と逸脱、制約と解放、渾沌と秩序、形式と破壊、等々、相反する要素が中村の作品のなかではつねに衝突しているのだ。この摩擦、フリクション、それが絵画にリアリティをもたらし、絵画を「絵空事」から遠ざける。 そしてじっさい、中村は早くから、絵画がこの現実世界から無縁な、無垢な存在ではありえないことを主張し続けてきたのではなかったか。今回の展示においては、それぞれの作品に作者の自筆によるコメントが添えられている。それを読むならば、中村が、昨年9月のニューヨークでのテロによって先鋭的に示された、世界がじつに野蛮であり悲惨であることの可能性に抗し、絵画の力と救済を証明するために、制作のテンションを維持してきたことがわかる。 ――そう、だから私は思うのだ、中村一美を同時代人として持つことは、われわれにとってのせめてもの幸運と言うべきではないか、と。 [みなみ ゆうすけ] |
|
|||
|
|||
|