インスタレーションという作品形態が表現方法として根付いて久しい現在、数多くの美術作家達がこの手法を取り入れている。
1980年代の関西ニューウエーブの一員であり、1990年代の「ベネチア・ビエンナーレ(アペルト)」やMOMAなど国際舞台で活躍を続けてきた松井智惠は、初期から一貫してインスタレーションによる作品を発表してきた。80年代は『月下の肉』『あの一面の森に箱を置く』といった詩的なタイトルで、床や壁に石膏、染色した布、枝などのオブジェを点在させ、物語性のある三次元の絵画空間を創出していた。90年代に入り『水路』『無題』などの物語性を排除した無機質なタイトルに象徴されるように、鉛で覆われた部屋、壁に埋め込まれたドローインクをのぞき見る為の小窓、漆喰の壁で仕切られた細長い空間や階段など、建築的要素の強い構造物により独自の空間体験を促してきた。近年は私的な物語ではなく、ある意味誰もが普遍的に共有している童話という物語りの中から作品の要素を抽出し、印象的な赤色の壁面と「彼女は○○する」というテキストを基調とした『LABOUR』シリーズを続けている。
彼女の最新作が大阪の画廊では最も歴史があり、いわゆるホワイトキューブというよりも少し癖のある空間と建物の築年数が特徴的な信濃橋画廊で発表された。地下1階の画廊空間の中央に配置された緑色の巨大な四角い木箱とその向こうの壁に見える映像。この全貌を見ようと木箱の周辺をまわると箱の一辺の隙間に佇むロバの剥製と出会う。抱えきれない大きな荷物を引いているかのように憂いを含んだ表情の納戸の番人に守られた箱の内部を覗き込むと、蓄積された月日を感じさせる棚に展覧会カタログやレトロな食器、中身のない額などがぎっしりと詰まっている。すっかり箱の中身を見入っていたが、当初の関心事項であった箱の中から壁面に向かって投影されている映像に目線を移す。
薄曇りの月夜の空、船の汽笛のような音と共に現れる海面の波、干潮でその全貌を明らかにしたと思われる島、その島の周辺をゆっくりと歩いて廻ったりしばし地面に寝そべったりするどこか奇妙な女性の姿……特筆すべき出来事もなく流れる一連の映像は淡々とした時間だけがループしていく。この映像と箱とロバの関係を探ろうと画廊内を見渡すと普段は閉められている扉が開いていることに気付く。
中に入ると真っ赤に塗られた一畳程の空間にいくつかのドローインクとテキストが配置され、さらに奥に進むと赤く古びたタンク、壁面の梯子、その行き先にある赤く塗られた小さな出口などが、吊るされたライトに照らし出され、普段は決して表舞台にはならない建物の裏の構造が露呈されていた。
展示空間の裏返し、封印されていた過去の遺物達、循環する映像/時間、中身のないロバの剥製や人間という容器……信濃橋画廊の歴史と空間の特徴を見事に作品へと昇華させたサイトスペシフィクなインスタレーションには、タイトルの英訳として容器、船、管、人などを意味するvesselが用いられ、『寓意の入れ物、彼女は射る』という一枚のテキストが用意された。「わたしの入れ物の中身は誰かにあげてしまってありません。その後の入れ物は、中身がなくなって空っぽになってもう全く自由です。何をいれてもかまわないのです。あるいは何が入っていたかをこっそり、あなたに語りかけてもかまわないのです。(中略)彼女へ入れ物が届きました。のぞきこんだ彼女には入れ物の中は風景とうつるのでしょうか?あるいは光景とうつるのでしょうか?風景と光景のあいだに彼女は射るのです」。
視覚や触覚といった感覚装置によって体験するインスタレーションというテンポラリーな作品空間に、記憶や記録といった時間の要素が加算された問いかけの装置の中に身を置いてみる。入れ物、中身、わたし、彼女、、、様々な存在について想いを馳せながら巡回する自分という入れ物に多彩な寓話が誕生し、幾重にも語り継がれていくのだろう。
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箱とロバ |
木箱の中味 |
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島の映像 |
赤い部屋の入り口 |
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壁面のテキストとドローイング |
赤いタンク |
会期と内容
会場:大阪/信濃橋画廊
大阪市西区西本町1-3-4 陶磁器会館地下1階 tel.06-6532-4395
会期:2002年5月29日(水)~6月7日(金)
休廊日:日曜休廊
営業時間:11:00~:00kハス17:00まで)
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