トルコ美術の現在 どこに?ここに?
埼玉県立近代美術館
東京/南雄介[東京都現代美術館]
東京/南雄介
神戸/木ノ下智恵子
広島/柳沢秀行
福岡/川浪千鶴
いま現在においてどうなのか、ということになると、実はそういう発想自体に疑問を呈する向きもあるだろうが、一昔前、たとえば5年くらい前までは確実に、一般に現代美術の「大国」とみなされていたのは、まずはアメリカ、そしてヨーロッパのイギリス、ドイツ、フランス、イタリア、この5カ国であった。そのような「状況」のなかで、これら5カ国以外の現代美術の現況を紹介する展覧会の試みがあったとすれば、それは2つの方向性のうちのどちらかに分類されるものが多かったように思う。2つの方向性は、いずれも例の「5大国」を中心として形成される「現代美術の国際的な動向」に対して向けられたストラテジーの相違に還元される。つまり、1.「国際的な動向」に対して(伝統的なものにせよ同時代的なものにせよ)それとは異なるもの、文化的な特殊性を反映、強調した作家/作品を提示する、2.「国際的な動向」を見事に我がものとした、インターナショナル・スタイルの範疇に収まる作家/作品を選抜する、という2種類の方法論である。
もちろん現実の作家たちは、多くの場合、インターナショナル・スタイルを習得した部分と固有文化に由来する部分との両方の要素を含んでいるものであるから、実際の展覧会がそんなに単純に色分けされるものではない。ただ、企画者の意図としてどちらの様相に強勢を置くかという、そういった姿勢の違いのようなものは見られたと思う。
これら2つの方向性にはいずれもディレンマがあって、インターナショナリティを強調すると展覧会のインパクトが、いやその意義さえも薄れてしまうし、ローカリティの強調は、観客があらかじめ持っていた固有文化についての偏見や予断を追認し、それに迎合するような結果しか生じないということにもなりかねないだろう…。
筆者はトルコにはまだ行ったことがないし、トルコの現代美術といって一
人として名前を上げられる作家もいない。トルコの現代美術についてはまったく無知であった。だから、「トルコ美術の現在」展を見に行く前に漠然と抱いていた「予断」は、上に述べたような「国別」美術展についての一般的な印象にとどまるものだった。
だが、展覧会を実際に見た感想は、このような単純な「予断」を超えるものだった。
展覧会の出品作品は、写真や映像による作品、それを用いたインスタレーションが大半であり、作品の物理的な素材やスタイルに取り立てて「トルコ的」な要素を感じさせるものは少ない(とはいえ、どのような素材やスタイルがあれば「トルコ的」と感じるのだろうか?)。
一方、たとえば「ボスポラス海峡」のように、主題として「トルコ的」なものを感じさせる要素は若干見受けられはする。だが、ヨーロッパとアジアを分かつ/繋ぐ「ボスポラス海峡」は、たしかに「トルコ的」な記号ではあるが、同時にイスタンブールに住まう人々にとっては「つねにそこにある」一つの単純な事実にすぎないということも言えるわけだ。出品作家のエスラ・エルセンにせよジェヴデット・エレックにせよ、トルコ的な記号としてボスポラス海峡を用いているわけではない。橋をわたりながら車の中で交わされる会話は、ありきたりな夫婦喧嘩であったり世間話であったりする。それは、その都市に住まう人々の生活の中の微妙な地理的感覚を鮮やかに浮かび上がらせてくれるが、トルコ固有の問題を際立って浮上させることはない――「ここよりヨーロッパ」/「ここよりアジア」という標識を車が淡々と通過しているという事象に目をつぶれば。
それでは、出品作家たちはインターナショナリズムの見地から選ばれているのだろうか。そういう言い方をすれば確かにそうかもしれない。
いわゆる国際展に出かけてみればわかるように、今や、写真や映像を用いたインスタレーション的表現というのは、世界中のあらゆる国や地域や大陸からやってきたアーティストの作品に、共通して認めることができる。だがそれが、一つの典型的なインターナショナル・スタイルであるのかと言えば、そうとばかりも言えないのであって、というのはむしろそれは道具や技術の類であるからだ。だから、写真や映像を用いたインスタレーションというだけでは何の説明にもならなくて、作家の表現は、主題やイメージや媒体の選択、そして語り口を通じて実現され、そしてそれらが総合されて、作家の個人的なスタイルが形成されることになるのだろう。そこで語られる「スタイル」とは、絵画や彫刻におけるそれとは様相を異にするものである。
展覧会の企画者たちは、写真や映像による表現が、世界的に見て今や一つの表現の共通地盤として機能しているというこのような状況に対して、ひじょうに意識的に対処しつつ展覧会を構成しているように思われる。
そして、展覧会全体を通じて、グローバリゼーションとローカリティとが交錯することによって形成されている現在という主題が、イスタンブールという古い歴史を持った「国際都市」をいたずらに特権化することなく、きわめて洗練された同時代性のなかで表現されていた。それは、今日の世界の美術状況に対する批評的な眼差しをも内包するものであり、翻って今日の日本の美術状況を照らし出す有効な視点をも暗示しているように思う。
「あらゆる可能性を考えてみても、どうやら我々は、現代の視覚文化は、地域的な一過性と位置関係によって変容させられた、国際的な作法に則って動作するということを受け入れるほかなさそうだ。あるものはグローバリゼーションの極度に特権的な主題として抹消されうるだろう。この地で生まれる美術は、ある意味では鮮明な独自性は見受けられないかもしれないが、それは、予測もつかないような構築性と意味構造で満ちている。そして、イスタンブールの小さな奇跡が、準公的な議論の中や作家達の記録集、ビエンナーレの中だけで起こるのではなく、日常的なものとなるかどうかということは、いつか時が判断を下すことであろう」(ワースフ・コルトゥン)。
会期と内容
●トルコ美術の現在 どこに?ここに?
開館期間: 2003年6月20日(金)〜8月31日(日)
開館時間:10:00〜17:30
金曜日は10:00〜20:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:埼玉県立近代美術館 企画展示室(2階)
休館日:毎週月曜日(ただし7月21日は開館)、7/22(火)
観覧料:一般800円(640円)、大高生640円(520円)
※( )内は団体20名以上の料金。中学生以下、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方は無料です。
問合せ先:Tel. 048-824-0111
[みなみ ゆうすけ]
E-mail:
nmp@icc.dnp.co.jp
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