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村山留里子「綺麗の塊」 |
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12/28〜1/24 ナディッフ[東京] |
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ケバい原色に染めた布を即興的につぎはぎしたり、造花やビーズを組み合わせてわけのわからないオブジェをつくったりしている作家。ひとつひとつの要素はカワイかったりキレイだったりするが、それが凝集されることで意味不明のグロテスクな怪物に変身する。その点、どこかアウトサイダーアートに通じるものがある。今回は布ではなくオブジェの展示だが、キュレーターの東谷隆司の意向だろうか、白い布をかぶせて祭壇のようにしつらえた台の上にオブジェが置かれているので、いかにも意味ありげ。
[12月28日(土) 村田真] |
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大西秀明=ジミー大西展 |
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12/28〜1/6 銀座三越8階催物会場[東京] |
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ジミー大西といえば存在そのものがアウトサイダーアートみたいなもんだが、その作品も、動物モチーフと抽象パターンの組み合わせといい、原色に黒い輪郭線といい、奥行きのない平面的な構成といい、オールオーヴァーな画面といい、どれをとっても典型的なアウトサイダーアートの特徴を示している。こんなに作者と作品が一致するわかりやすい「アーティスト」も珍しい。
[1月2日(木) 村田真] |
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「都市の創造とアートとの関係」上海ビエンナーレ展からの報告 |
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1/5 ギャラリーマロニエ[京都] |
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上海ビエンナーレ(11/21〜1/28)の様子がこの展覧会の関係者のひとりでもある長谷川祐子氏から報告された。この展覧会自体も「都市」をキーワードにしており、上海の都市開発や、ここ数年で急成長する中国の現状をとらえながら、お正月ムードが抜けない京都をきりりとさせるトークを聴くことができた。
[1月5日(日) 原久子] |
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大レンブラント展 |
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11/3〜1/13 京都国立博物館[京都] |
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早朝「のぞみ」に飛び乗って京博に着いたのが10時前。会期も終わりに近いので長蛇の列を覚悟していたら、博物館の前は閑散としていて肩すかしを食う。館内はそれなりの混みようだが、見られないほどではない。ああよかった、やっぱり早起きはレンブラント。さて、レンブラント展というとたいてい弟子たちや周辺画家の作品が含まれていたり、版画が大半を占めてたりするものだが、今回は出品作品43点すべてが(あやしいものもあるが)本人の油彩画のみという快挙。少年期から青年期にかけての息子ティトゥスの肖像3点をはじめ、だまし絵的な《描かれた額縁とカーテンのある聖家族》、焼け残った《ヨアン・デイマン博士の解剖学講義》、晩年の《笑う自画像》まで興味深い作品もある。とはいえ、全体的にトローニーや注文の肖像画が多く、「これぞレンブラント」といえるような物語画の大作は《目を潰されるサムソン》くらい。そもそもこの展覧会、京博のあとフランクフルトのシュテーデル美術館に巡回する国際巡回展だが、カタログに収録されている53点のうち、《スザンナと長老》など10点はフランクフルトにしか出展されないのだ(逆に京都のみの出展は5点)。ここらへんに日本の地理的・文化的辺境としての悲しさがある。
[1月7日(火) 村田真] |
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MINGEI×LANDSCAPE PRODUCTS
@民藝とランドスケープ・プロダクツの出会い |
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1/7〜3/30 アサヒビール大山崎山荘美術館[京都] |
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濱田庄司、河合寛次郎ら、この美術館の要でもある民藝コレクションの魅力を、中原慎一郎が引き出すようなかたちで展覧会をつくりあげた。中原は「モダン」という視点から展示構成を行なった。彼はオリジナル家具やインテリアデザインなどの仕事で注目されるランドスケープ・プロダクツの代表。新館では、ランドスケープ・プロダクツのデザインによるMINGEICUBEと名付けられた35cm角の箱型の家具のユニットが設置され、スツールとして用いたり、組み合わせてベッドにしたりと、鑑賞者が参加して楽しめるかたちの展示になっていた。
[1月7日(火) 原久子] |
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未来予想図 私の人生☆劇場 |
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11/19〜1/13 兵庫県立美術館[兵庫] |
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京都から新快速で三ノ宮に出てタクシーを飛ばす。関西で活躍する10人のグループショー。これを見ると東京のアーティストとの違いがよくわかる。全体になにか過剰気味なのだ。年長の堀尾貞治と榎忠は60年代的というか超ねばり腰というか、過剰さがひつこいねんけど、森村泰昌やしばたゆりの過剰さはサービス精神に由来するのか、見て楽しめる。その反面、平均年齢が高い(約45歳)せいもあるが、ひそやか系やひきこもり系が少ないのも特徴だ。というより、ひそやか系やひきこもり系がアーティストとして成り立つのは東京だけかもしれないが。どうでもええけど、なんで女性作家は名前をひらがなにしよるねん(しばたゆり、やなぎみわ、かなもりゆうこ)。
[1月7日(火) 村田真] |
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7th 北九州ビエンナーレ「アートと経済の恋愛学」 |
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12/22〜2/2 北九州市立美術館[福岡] |
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新神戸から2時間弱で小倉に到着。はえーはえー30年前なら半日かかったぞ。と、おやじの感慨など気にしないでね。「アートと経済の恋愛学」は白川昌生、三田村光土里、会田家、渡辺郷の4組が出品。だが、必ずしも経済とか恋愛とかがテーマになっているわけではない。白川は群馬県の無人駅でカップラーメンを食べたり、「敗北の記念碑」のマケットを並べたり、なんとなく経済している。会田家は家族3人で美術館に生活の場を移して制作しているから、たしかに経済的(意味が違うか)。でも、だれもいないのにデザインの異なる108脚の椅子を並べて映像を流す三田村の作品は、明らかに不経済。
[1月7日(火) 村田真] |
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福・北 美術往来 |
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1/2〜2/2 北九州市立美術館[福岡] |
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福岡市美術館と北九州市立美術館の共催による交流・交換展。北九州に来た目的はこの展覧会を取材するため。いまどき、こんなローカルな話題を取り上げるメディアは『地域創造』しかないでしょ。出品は、福岡から大浦こころ、藤浩志、ナウィン・ラワンチャイクンら21人、北九州から鈴木淳、世良京子、宮川敬一ら12人。この人数差は両都市の美術状況の違いを反映しているようだ。作家の選択基準は、90年代以降にこの地域で活動している40代までの現代美術家たち。外に花輪を何十本も並べた鈴木淳をはじめ、作品はインスタレーションが中心だが、意外に絵画も多い。後藤章子のペインティングなんかわりといいじゃん。たまたま今晩オープニングパーティーがあるというので顔を出し、藤くんの車に乗せてもらって福岡の先の藤邸へ。近所に住んでいる柳幸典の家に押しかけ、焼酎を飲む。長い1日だった。
[1月7日(火) 村田真] |
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