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演技の逆説

Paradox of Acting
更新日
2024年03月11日

役者は役を模倣する者でありながらも感性(sensibilité)によって役に憑衣されてはならず、判断力や洞察力をもって冷静な観察者でいなればならないとする考え。フランスの百科全書の執筆者で思想家のドゥニ・ディドロが18世紀に論じたことで演技術の基礎的理論となった。他者になり代わろうとするあまり自分自身の有している地位を忘却する存在として俳優を批判したルソーに対して、ディドロは俳優のしかるべき価値を定めるために、感性に左右される悪しき存在のみならず、知性的で反省する力のある存在としてもとらえようとした。感性に左右される役者は、特に同じ演技が繰り返しできない点で批判対象とされる。フランスの哲学者フィリップ・ラクー=ラバルトはこの逆説を、ある特性を演じ模倣するために役者自身はまったくその特性を有しない者でなければならないことであると述べている。ロシアの役者・演出家のコンスタンチン・スタニスラフスキーは、俳優のタイプを、役に憑衣される「狂人」と冷静で知的な「賢者」に分け、後者を評価するディドロの立場とは異なり、一定の型紙をつくるように役を表象する技術よりも役の精神生活を生きて経験する技術を重視した。そうした経験する技術を通して、単に感情に流されてしまうのではなく、演技をコントロールできる存在であることを俳優に求めた。

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参考文献

The Stanislavsky System of Acting: Legacy and Influence in Modern Performance,Rose Whyman,Cambridge,2008
From Mimesis To Interculturalism: Readings of Theatrical Theory Before and After ‘Modernism’,Graham Ley,University of Exeter Press,1999
『近代人の模倣』,フィリップ・ラクー=ラバルト(大西雅一郎訳),みすず書房,2003