形而上絵画
- Pittura Metafisica(伊)
- 更新日
- 2024年03月11日
1909年頃から10年代を通じて、ジョルジョ・デ・キリコとその周辺に集った画家たちが生み出した絵画様式。メタフィジカとも言う。形而上絵画のもっとも充実した作品群は10年代前半から生み出されたが、その徴候はデ・キリコが09-10年頃に制作した、謎めいた雰囲気と不安感を醸し出す《神託の謎》《秋の午後の謎》にすでに見ることができる。青年時代のデ・キリコは、ショーペンハウアー、ニーチェ、ヴァイニンガーの哲学や、ドイツ・ロマン主義の画家であるA・ベックリン、M・クリンガーの絵画に影響を受け、目に見える事物の奥にある神秘の探究を開始した。11年から4年間に及ぶパリ時代には、奇妙な透視図法による都市空間あるいは室内空間に、マネキン、ギリシャ風の彫像、汽車、長く伸びた影などが出現する基本スタイルが確立する。この頃の作品は、詩人G・アポリネールの称賛を受けたほか、パリのシュルレアリストたちの霊感の源となった。17年、フェラーラの軍事病院でデ・キリコと出会ったC・カッラのほか、F・デ・ピシスも形而上絵画の思想に共鳴し、デ・キリコの実弟A・サヴィーニオを交えて芸術の問題について議論を交わす。しかし運動としてのまとまりは持たず、カッラは15世紀イタリア・ルネサンスの巨匠を現代的に再解釈するため、アルカイックなスタイルを独自に追求した。カッラは形而上絵画についての著作まで発表したが、「無能な剽窃者」としてデ・キリコの非難を浴び、両者のあいだに決定的な確執が生まれた。また、雑誌の複製図版などを通じてデ・キリコやカッラを知ったG・モランディも18-19年頃に形而上絵画風の作品を手掛けているが、切り詰めた造形要素による静謐かつ詩的な画面は、先の二人の文学性の強い作風とは距離を置いたものだった。言説のレベルでは、ローマの雑誌『ヴァローリ・プラスティチ(Valori Plastici)』(1918-22)の存在も見逃せない。秩序への回帰を謳った同誌には、デ・キリコ、カッラ、サヴィーニオといった形而上絵画の中心人物が寄稿し、彼らの絵画の理論的補強を図った。
補足情報
参考文献
『キリコ回想録』,ジョルジヨ・デ・キリコ(笹本孝、佐々木菫訳),立風書房,1980
『イタリアの近代美術 1880-1980』,井関正昭,小沢書店,1989
「デ・キリコ 終わりなき記憶の旅」展カタログ,日本経済新聞社,2000
『モランディとその時代』,岡田温司,人文書院,2003
「シュルレアリスム展 パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による」,国立新美術館,2011