五期会
- Gokikai
- 更新日
- 2024年03月11日
1956年6月、「五期会」は設計事務所や東京大学の丹下健三研究室をはじめとする大学の研究室に所属し、設計活動に従事していた若者を中心に結成された。少数ではあるが建築ジャーナリストや建築史を専攻する人々も加わり、総勢は40名以上にも及んだ。「五期会」という名前は、この世代が辰野金吾に始まる東大の系譜からいえば、佐野利器、岸田日出刀、丹下に続く第五の世代に位置付けられる、ということに由来する。会の目的は「民衆の建築を目指し、積極的な創造活動を展開するために、建築家の主体的・内的条件である設計体制・組織の変革を図る」というもので、建築設計者の労働条件や給与水準に疑問を投げかけ、改善することにあった。終戦直後に発足された「新日本建築家集団」をはじめ、50年代に入ると数多くの建築運動の団体が発足し、建築と建築家のあり方に関わるさまざまな主張がされた。そういった潮流のなかで五期会は発足したが、わずか5年で活動を停止してしまう。主な原因は、個人事務所を運営する建築家に師事する者と、組織に属する者のあいだに、関心の違いや不信感が増大したことにあると言われている。その結果、60年4月の最後の五期会の総会をもって、会の規約を凍結することとなった。あえて凍結というかたちをとったのは、会が取り組もうとした問題を否定することなく、会員各自でこの問題をそれぞれに追求してほしいという大谷幸夫委員長の願いがあったからであった。
補足情報
参考文献
『新建築』1978年11月号,「五期会 創造と労働」,大谷幸夫,新建築社
『建築家の原点 建築は誰のために』,大谷幸夫,企業組合建築ジャーナル,2009
『日本建築家山脈』,村松貞次郎,鹿島出版会,1965
『建築・都市論異見 ジャーナリズムの周縁から』,宮内嘉久,田畑書店,1984