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佐賀町エキジビットスペース

Sagacho Exhibit Space
更新日
2024年03月11日

1983年から2000年まで、17年間運営された美術館でも商業ギャラリーでもない非営利のオルタナティヴ・スペース。江東区佐賀町にある食糧ビルの3階を改装してオープンし、ギャラリーの商業活動とは一線を画しながら、若手作家の発表を支援した。1980年代前半当時は、美術館でキャリアのない現代美術家が取り上げられることはほぼなく、若手の発表の場は作家が会場の賃料を支払う貸し画廊が多くを占めていた。そのような状況のなか、ディレクターである小池一子は「いま生まれつつあるアートを発信しよう」と、佐賀町エキジビットスペースを設立し、「企画運営者とアーティスト自身がともにつくる表現空間」を活動の指針に現在進行形のアートを発信した。森村泰昌、内藤礼、大竹伸朗、杉本博司など多数のアーティストを輩出し、ここでの展示がその後の活躍につながった作家も多い。天井高5メートルの広い空間やアーチ型窓のある歴史的な建物の魅力も大きく、サイト・スペシフィックな作品に取り組んだ作家もいた。特に大竹伸朗の「1984-1987」展では従来の現代美術になかったブルースやロックのルーツを取り入れたこと、内藤礼「地上にひとつの場所を」展はひとりずつしか鑑賞できないという形式で、両者は前例のないユニークなインスタレーションとして話題になった。17年間で107本の展覧会を開催したほか、外部での企画制作も手掛け、94年からはコンサートも定期的に催した。展覧会ごとの助成や協賛を募りながら運営し、96年からは武蔵野美術大学を運営母体としていたが、2000年に閉鎖。食糧ビル自体もバブル経済の破綻により売却され、02年11月に食糧ビル解体前の最後の展覧会として、「エモーショナル・サイト」展が行なわれ、大勢の人が訪れた。11年より佐賀町エキジビットスペースの活動と資料、作品コレクションを公開した「佐賀町アーカイヴ」が3331 Arts Chiyoda内に設立され、関連の展示やトーク・イヴェントなども行なわれている。

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補足情報

参考文献

『美術手帖』2003年2月号,「EMOTIONAL SITE ポジティヴな意思が呼ぶ磁場」,児島やよい,美術出版社
『美術手帖』2003年1月号,「さよなら食糧ビル」,美術出版社
『美術手帖』2005年7月号,「〈レントゲン藝術研究所〉という時代」,椹木野衣,美術出版社