シンクロミズム
- Synchromism(英), Synchromisme(仏)
- 更新日
- 2024年03月11日
1913年、アメリカ人画家のモーガン・ラッセルとスタントン・マクドナルド=ライトが自分たちの絵画を規定するのに用いた名称。「色彩とともに」を意味するこの造語は、もともと12年にラッセルが着想したもので、翌年のミュンヘンとパリにおけるグループ展をもって正式に発表された。二人は当時のパリで先鋭的な指導を行なっていたカナダ人画家のE・P・チューダー=ハートのもとで学び、シュヴルール、ヘルムホルツ、ルードの色彩理論を制作に応用して、音楽がもたらすような感興を色調のハーモニーによって生み出そうとした。その作風はしばしばオルフィスムとの関連が指摘される。13年、ラッセルとマクドナルド=ライトは未来派のスタイルに倣った扇情的なマニフェストを掲げ、ミュンヘンのノイエ・クンスト・サロンとパリのベルネーム=ジュンヌ画廊でシンクロミストのグループ展を開催。具象性を色濃く残した静物画のほか、パリのグループ展ではより完全な抽象に接近したラッセルの《ディープ・ブルー・ヴァイオレットのシンクロミー》も展示された。これらの展覧会に触発され、マクドナルド=ライトの兄にして美術批評家のW・H・ライト(小説家としての筆名はS・S・ヴァン=ダイン)は、画家たちの理念を代弁する記事を『フォーラム』に寄稿。このことが14年、ニューヨークのキャロル・ギャラリーにおける展覧会の開催へと繋がった。シンクロミズムの方法を受け継いだそのほかの画家に、T・H・ベントン、A・ダスバーグ、P・H・ブルースなど。第一次世界大戦の終結とともに運動は離散し、初期のシンクロミズム絵画の多くが消失したが、アメリカ初の抽象絵画の動向として60-70年代頃に再評価の兆しが高まり、90年にはラッセルの初となる回顧展がモントクレア美術館で行なわれた。
補足情報
参考文献
Synchromism and American color abstraction,1910-1925,Gail Levin,George Braziller
『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』,ジョン・ラフリー(清野泉訳),国書刊行会,2011