『神殿か獄舎か』長谷川堯
- Shinden ka Gokusha ka, Takashi Hasegawa
- 更新日
- 2024年03月11日
1972年に刊行された建築批評家の長谷川堯の初期の論考をまとめた書籍であり、長谷川のデビュー作にして代表作である。冒頭に収められている「日本の表現派」および「大正建築の私的素描」においては、建築家の自己表現としての「大正建築」という概念を提出し、国家を装飾するモニュメンタルな「明治建築」と近代建築が展開される「昭和建築」に挟まれ見えにくくなっている「大正建築」の史的重要性を説いている。また、表題作である「神殿か獄舎か」においては、国家的でモニュメンタルな「神殿」と個人や生活を象徴する「獄舎」という二項対立の構図を描いている。そして、後者の実例として《豊多摩監獄》を取り上げ、設計者である後藤慶二と収監者である大杉栄の両者の言説を読み解き、作り手と使い手という建築内外からの相克のなかに空間生成の原点を見出している。いずれの論考においても共通しているのは、都市や建築といった環境を自由に創造しうると考える建築家の「欺瞞」(神殿的思惟)に対する疑義と、それを乗り超えるために都市・建築の身体化を可能にする「建築的想像力」(獄舎的思惟)への期待である。長谷川自身は、その後の高度成長期およびバブル期の日本において、「獄舎的思惟」がほとんど顧みられることはなかったことを嘆いている。しかし、後藤のほか、分離派建築会や村野藤吾、白井晟一など、長谷川が本書において鮮やかに浮かび上がらせた「獄舎的思惟」の系譜は、建築家の職能に変革が求められている現代にこそ再評価されるべき普遍性を有している。
補足情報
参考文献
『神殿か獄舎か』,長谷川尭,相模書房,1972
『INAX REPORT』No.168,「著書の解題2 『神殿か獄舎か』長谷川堯」,内藤廣,INAX,2006
『10+1』No.49,「いま長谷川堯が再読されるのはなぜですか?」,中谷礼仁,INAX出版,2007