人類学写真
- Anthropology and Photography
- 更新日
- 2024年03月11日
19世紀後半にヨーロッパで成立した人類学と1839年に発明された写真は、西洋の帝国主義や植民地主義のもとでその結びつきを強めた。「人類学は西洋帝国主義の子供である」(キャスリン・ガフ)などという言葉が人類学に対して投げかけられるのは、近代人類学が19世紀後半の西洋列強の植民地主義と切っても切り離せない学知であったからだろう。同じ頃に世界中に普及していった写真も人類学と同じく西洋の帝国主義的膨張の過程で撮影対象を広げていった。西洋人が植民地で出会った異民族や異文化を理解するために人類学や写真が必要とされたわけだ。
非西洋諸国の原住民の姿や風俗、住居などを撮影した写真が記録として持ち帰られるだけでなく、その機械性が調査対象の身体を忠実にトレースする手段として用いられた例は多い。例えば、一定間隔で線が引かれた格子状の書き割りの前に計測したい人物を立たせ、正面と側面から撮影するという方法や、身長計のような器具と一緒に撮影して身体を計測するための補助とするという方法があった。こうした手法によって計測された頭蓋骨の大きさや背骨の曲がり具合を根拠に植⺠地住民は分類され、西洋人の劣位の他者として序列化されたのだった。
日本で写真を学術調査に利用した人類学者としてよく知られているひとりに、「探検型人類学者」と呼ばれた鳥居龍蔵がいる。鳥居は日清戦争直後の1895年、領有したばかりの遼東半島での調査を皮切りに、台湾、沖縄、千島、西南中国、満洲、モンゴル、朝鮮、樺太、シベリア(調査順)で次々と調査を行ない、多くの写真を残したが、その調査の拡大は日本の帝国主義的な膨張と軌を一にしているように見える。
補足情報
参考文献
Anthropology and Photography 1860-1920,Elizabeth Edwards ed.,Yale University Press,1992
『映像人類学の冒険』,伊藤俊治、港千尋編,せりか書房,1999
『東京大学総合研究資料館所蔵鳥居龍蔵博士撮影写真資料カタログ』,鳥居龍蔵写真資料研究会編,東京大学総合研究資料館,1990
Monthly Review April 1968,“Anthropology and Imperialism”,Katherine Gough,Monthly Review Press,1968