スタンリー・カヴェル『眼に映る世界 映画の存在論についての考察』
- The World Viewed: Reflections on the Ontology of Film, Stanley Cavell
- 更新日
- 2024年03月11日
1971年に出版された、アメリカの哲学者スタンリー・カヴェルによる映画論。79年に新たな序文と補遺を付した増補版が出版された。ジル・ドゥルーズの『シネマ』と双璧をなす、哲学者による映画論の古典。カヴェルは、アンドレ・バザンやエルヴィン・パノフスキーから映画のメディウムは写真的なものであるという考えを引き継ぎつつ、そこにスクリーンへの投影という契機を付け加えた。映画では、作り手の介入なしに世界が自動的に複製され(第一の自動性)、そうして複製された世界がスクリーン上で観客の関与なしにみずからを展示してゆく(第二の自動性)。映画メディウムの物質的基盤はすなわち「自動的な世界の投影の連続」なのである。しかしカヴェルの議論は、メディウムの物質的基盤とその美学的可能性とを短絡させる物質還元主義的なメディウム論とは一線を画するものであった。メディウムの可能性は、物質的基盤によってアプリオリに規定されるものではなく(絵の具や写真について考えるだけではそれらの可能性を知ることはできない)、個々の芸術的発見(形式やジャンル、類型、テクニックなど)によって初めてその意義を与えられるのであって、芸術そのものだけがその芸術の可能性を見出し、新たなメディウムを発見することができる。メディウムとはそうしたジャンルや類型など、その芸術の慣習や伝統までをも含み込んだものであった。カヴェルはそうした慣習をも「自動性」と呼んだので、「自動性」の語は写真の自動的複製、世界の自律性、自動化された慣習など複数の意味を担わされることとなった。カヴェルはまた、映画が半世紀以上にわたって大衆的な伝統芸術にとどまってきたことを強調しつつも、いまやモダニズムへの移行期にあるとし、現代の芸術の使命は新たなメディウム、新たな自動性をつくりだすことだと規定した。カヴェルはその後、『幸福の追求』(1981年)や『涙への抗議』(1996年)において独自のジャンル論を展開してゆくことになる。こうした物質に還元されない慣習までを含んだカヴェルのメディウム観は、グリーンバーグ的なメディウム・スペシフィシティの議論を越える射程を秘めており、ロザリンド・E・クラウスなどのポスト・メディウム論の文脈においても取り上げられている。
補足情報
参考文献
『眼に映る世界 映画の存在論についての考察』,スタンリー・カヴェル(石原陽一郎訳),法政大学出版局,2012
The World Viewed: Reflections on the Ontology of Film,Enlarged edition,Stanley Cavell,Harvard University Press