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スパツィアリスモ

Spazialismo(伊)
更新日
2024年03月11日

1940年代末から50年代にミラノを拠点として提唱された芸術理論。空間主義とも言う。その萌芽は、アルゼンチン滞在時に私立の美術学校「アカデミア・アルタミラ」を設立したL・フォンタナが、同僚や教え子たちと起草した「白の宣言」(1946)にすでに見ることができる。翌年イタリアに帰国したフォンタナは、批評家G・カイセルリアン、哲学者B・ヨッポロ、作家M・ミラーニとともに、「第一次空間主義宣言」に署名。宣言の冒頭で「不滅」とは異なる芸術の「永遠」を高らかに告げ、素材を解き放つための創造的な行為の重要性と、新技術を通しての感性の革新を主張した。続けて「第二次空間主義宣言」(1948)、「空間主義技術宣言」(1951)を発表。未来派やバロック芸術の成果を引き継ぎつつ、絵画や彫刻、詩といった枠組みの超克、空間を通じた形、運動、色、音の表現、四次元における芸術の探究といった理念が推し進められる。フォンタナはこれらの宣言を実証するかのように、当時の最新技術であるブラック・ライトを用いた作品をナヴィーリオ画廊における「黒の環境」展(1949)で展示した。さらに第9回ミラノ・トリエンナーレ(1951)では、建築家L・バルデッサーリの協力を得て、会場となるパラッツォ・デッラルテの吹抜けにアラベスク状のネオン管を張り巡らせた。50年代初頭にはミラノだけでなくヴェネツィアの作家たちにも空間主義の活動が波及する。しかし理論と制作の両面における最重要人物は依然としてフォンタナであり、「第八次空間主義宣言」をもって運動が収束に向かった58年、有名なキャンヴァスの切り裂きシリーズによって彼の独創性がいよいよ証明されることになった。

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参考文献

『アフロ ブッリ フォンタナ イタリア抽象絵画の巨匠』,ふくやま美術館,2002
「フォンターナと空間主義」展カタログ,加藤義夫、林美佐編,児玉画廊,1988
「フォンタナ」展カタログ,富山県立近代美術館,1986
『ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術 伝統と革新性をめぐって』,谷藤史彦,中央公論美術出版,2016