聖徳記念絵画館
- Seitoku Kinen Kaigakan
- 更新日
- 2024年03月11日
昭和戦前期に東京・明治神宮外苑に建設された絵画展示施設。1915年に明治神宮奉賛会が設立されて建築の構想が始まり、26年に建物が完成。デザインは小林正紹による設計案に造営局建築係が修正を加えたもので、外観は花崗岩貼り、中心に15メートルのドームがそびえ立つ左右対称の重厚な構成となっている。また、建物は銀杏並木がつくる遠近法の焦点に位置し、見事な景観デザインを示す。建物の内部は二階建てとなっており、36年4月に明治天皇・昭憲皇太后の事跡を伝えるための壁画(縦3メートル横2.5~2.7メートル)80点(日本画40点、洋画40点)が完成し、恒久展示された。その壁画の内容は、明治天皇の生誕から崩御を含むもので、まず歴史家が画題を選定し、二世五姓田芳柳が画題考証図を制作し、次に画家たちが与えられた画題の詳解と考証図を資料にしながら下絵を制作した。制作者には、小堀鞆音、鏑木清方、和田英作、藤島武二ら当代一流の画家たちが集まったが、批評会で歴史家たちによって何度も書き直しが命じられることがあった。それは、画家の個性を発揮することよりもむしろ、画題と史実の遵守が求められた共同制作だった。また、聖徳記念絵画館のような、一連の大画面によってあるべき「史実」を描くという壁画は30年代に官民で流行した。そして、巨大な絵画を進んで政治宣伝と国民教化の目的に使う動向は、40年代前半の藤田嗣治らによる戦争画制作へと繋がっていく。敗戦後、この建物と壁画は設立当時の存在理由を失いつつも存続した。
補足情報
参考文献
『明治神宮聖徳記念壁画集』,明治神宮社務所,1960
『昭和期美術展覧会の研究』,「絵画館と壁画 東京府養正館と国史絵画」,澤田佳三,中央公論美術出版,2009