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前衛美術会

Zenei Bijyutsu-Kai
更新日
2024年03月11日

敗戦後に新しく結成された左翼的な美術団体。1946年の第6回美術文化展で、福沢一郎らの体制順応派に対して、新しい時代にふさわしい左翼的な表現と姿勢を求める一派が反発し、旧プロレタリア美術の作家たちと合流した。彼らは計73名で翌47年5月に前衛美術会を結成し、この月、美術文化展と会場を二分して前衛美術展を開催した。設立時には、井上長三郎、丸木位里、いわさきちひろもいたが、多くは自由美術家協会などへ離脱。残留した者に、大塚睦、入江比呂、山下菊二、桂川寛、島田澄也、高山良策などがいた。彼らは共産主義を信奉しつつも社会主義リアリズムを否定して、新たなシュルレアリスムの確立に努めた。前衛美術会のその姿勢は、48年に日本共産党の蔵原惟人らに批判されたが、哲学者の三浦つとむを援軍に得て、反批判を行なった。52年には世紀の桂川寛、勅使河原宏が加わったが、この二人は同年6月には島田澄也に誘われて小河内ダム建設現場における山村工作隊にも参加した。そのときの闘争の現場体験は、社会に向き合うルポルタージュ絵画として結実する。前衛美術会は、会員数減少につぐ減少のため、52年には平和のための美術展に会場を貸す。53年から59年までは、ニッポン展を開催し、他団体や無所属の左翼的な画家たちを取り込む。76年に齣展に改組した。

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参考文献

『廃墟の前衛 回想の戦後美術』,桂川寛,一葉社,2004