創作版画(運動)
- Sosaku-hanga/creative prints (Movement)
- 更新日
- 2024年03月11日
明治期後半に起こり、昭和初頭にピークを迎えた日本の版画における芸術運動。従来、複製技術としての側面が重視されていた版画を独立した美術の一ジャンルとみなし、伝統的な木版印刷における分業制に対してすべての工程を作者が担う「自画・自刻・自擦」を掲げた。近代版画の嚆矢として名高い山本鼎の《漁夫》(1904)の発表、その山本が西洋版画の思想を紹介した『みづゑ』誌上の連載「版のなぐさみ」(1907-08)、および美術文学雑誌『平旦』『方寸』の創刊(1905-07)の頃より運動が始まる。山本とともに、印刷局に勤めた経験もある洋画家・美術評論家で上記二誌に関わった石井柏亭もこの運動の推進を担った。初期はとりわけドイツの美術雑誌『ユウゲント』などヨーロッパ世紀末の表現主義傾向からの影響が強い。日本において抽象画を先駆けて制作し、戦前戦後を通じて版画界の中心的存在であった恩地孝四郎もこの流れの中から登場した。1918年には日本創作版画協会が設立され、31年設立の日本版画協会に引き継がれる。工芸的、趣味的として扱われていた版画を美術として認知させ、また人材を育成したこの運動の役割は大きく、第二次大戦が始まる頃までその影響は日本全国に広まった。なお、大正初期には創作版画の対抗的動向として、伝統的な分業によって浮世絵の復興を図る新版画運動も生まれた。
補足情報
参考文献
『創作版画誌の系譜:総目次及び作品図版:1905-1944年』,加持幸子(編),中央公論美術出版,2008
『近代版画のあけぼの 日本創作版画協会の仲間たち』,鳥取県立博物館資料刊行会,1988
「創作版画の誕生 近代を刻んだ作家たち」展カタログ,渋谷区立松濤美術館,1999
参考資料
《漁夫》,山本鼎,1904