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退廃芸術

Entartete Kunst(独)
更新日
2024年03月11日

1937年、ナチズムの文化政策として国民啓蒙・宣伝省大臣ゲッベルスの主導により国内32カ所の公立美術館から、「劣悪」かつ「非ドイツ的」という理由で押収したモダン・アート作品に国家が付与した名称。その数16,000点ともいわれており、さらに選別された約650点が同年7月19日よりミュンヘンで開かれた「退廃芸術」展において展示された。この展覧会の目的は、ナチが政権を獲得する33年までの数十年間に「文化崩壊」を招いたとされる展示作の「退廃を推進する力によって追い求められた世界観的、政治的、人種的、道徳的目的と企図」を「健全な判断を持った民衆」に向けて明らかにするというものであった。そこで弾圧の対象となった様式は、表現主義、ダダイズム、新即物主義、抽象絵画など、ほとんどすべてのモダンの芸術である。例えば、ユダヤ人作家だけが集められた部屋にはM・シャガール、「ドイツ女性への嘲弄」と書かれた区画にはE・L・キルヒナーやM・エルンスト、ヒトラーの芸術観が壁一面に引用された先にはK・シュヴィッタース、「共産主義的バウハウスの教師」と名指された場所にはW・カンディンスキーの絵画が展示された。また、同展と対比させるかたちで、会場からさほど遠くないハウス・デア・ドイチェン・クンストにおいて「純正芸術」とナチが評価した作品を展示する「大ドイツ美術」展が1日早く開会している。「退廃芸術」展は後に精神疾患患者の作品を加えるなど展示作や演出方法を変化させながら41年までドイツとオーストリアを巡回し300万人の観客を動員した。押収された作品は、展示以外にも党の資金づくりのために国外に売却されたり、ベルリンで一部が焼却されてもいる。「退廃芸術」の烙印を押された芸術家のうちエルスントやM・ベックマンなど国外逃亡に成功した者もあったが、国内にとどまった作家は厳しく活動制限され、またユダヤ人画家のO・フロイントリッヒやF・ヌスバウムらは強制収容所に送られそこで最期を迎えた。

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参考文献

Entartete Kunst: Das Schicksal der Avantgarde in Nazi- Deutschland,Stephanie Barron(Hrsg.),Hirmer Verlag,1994
『ヒトラーと退廃芸術 〈退廃芸術展〉と〈大ドイツ芸術展〉』,関楠生,河出書房新社,1992
『芸術の危機 ヒトラーと〈退廃美術〉』,神奈川県立近代美術館ほか編,アイメックス・ファインアート,1995
『美術手帖』1976年3月号,特集=抵抗のリアリズム,美術出版社