朝鮮美術展覧会(鮮展)
- Chosen Bijutsu Tenrankai(Senten)
- 更新日
- 2024年03月11日
日本による併合下の朝鮮(現在の韓国及び北朝鮮)で開かれた官設公募展。略称は、当時の日本では「鮮展」、現在の韓国では「朝鮮美展」。1922年から44年までの全23回、朝鮮総督府が主催した。19年の三・一独立運動を契機に始まる、それまでの武断政治から文治政治への転換が、鮮展設立の背景にあったといわれる。この展覧会は、統治者による美術の管理、朝鮮の伝統美術と新派の混在、日朝美術家の共同参加による作品の同化という3点を特徴とする。出品区分は日本の文展・帝展と異なり、22年の第1回展では、第一部に東洋画・四君子(水墨で蘭、竹、菊、梅を描く)、第二部に西洋画・彫刻、第三部に書(32年に書部門が廃止される代わりに工芸部門となる)という構成であった。特に東洋画部は、日韓の伝統的な絵画の共演の場でもあったといわれる。朝鮮人、日本人のどちらでも出品できたが、審査員は書部門を除いて日本人が占め、入選者にも当初は日本人の割合が多かった。また、西洋画部では朝鮮の地方色(ローカルカラー)を打ち出すことが共通の課題となり、牛や民族衣装や田園風景といったモチーフが積極的に描かれた。
補足情報
参考文献
『韓国近代美術研究 植民地期「朝鮮美術展覧会」にみる異文化支配と文化表象』,金惠信,ブリュッケ,2005
『昭和期美術展覧会の研究』,東京文化財研究所編,中央公論美術出版社,2009
「ふたたびの出会い 日韓近代美術家のまなざし──『朝鮮』で描く」展カタログ,神奈川県立近代美術館ほか,2015