東京オリンピック
- Tokyo Olympic
- 更新日
- 2024年03月11日
1964年10月、東京を中心にして開催された第18回夏季オリンピック大会。アジアで初めて催されたオリンピックだったため、国の威信をかけた国家事業として首都東京が大きく改造された。首都高速道路をはじめ、国立競技場や日本武道館などが建設され、また殺鼠剤の配布や地下街からの浮浪者排除、風営法の改正や悪書追放運動など、「国際化」を名目とした街の美化運動が全面的に推し進められた。スポーツの祭典であるオリンピックと美術は一見すると無関係に思われるかもしれないが、東京オリンピックを契機にした美化政策は、街のインフラと精神衛生の両面を対象としており、それぞれに対して敏感な美術家による表現活動を引き起こした。前者の観点では、ハイレッド・センターによる《首都圏清掃整理促進運動》(1964年10月16日)が、後者の観点ではダダカンこと糸井貫二による《五輪性火白面フリチン走り》(同年10月6日)が挙げられる。ハイレッド・センターによるパフォーマンスは、銀座の並木通りで白衣にマスク姿の美術家たちが路上の微細なゴミを収集し、汚れを拭き取るものだったが、これは当時開催されていたオリンピックのための都市美化運動をパロディにしたものだとして評価されている。オリンピック開催直前に、同じく銀座四丁目の服部時計店前に現われたダダカンは、モヒカン頭に顔面を包帯で覆い、手にした赤い糸を聖火に見立てて走り出し、途中で越中褌を意図的にずり落として全裸となったが、三愛前でたちまち警官に取り押さえられた。その後、ダダカンが精神病院に収容されたように、東京オリンピックのための美化運動には、思想的な変質者を取り締まるキャンペーンも含まれていたわけだ。
補足情報
参考文献
『東京ミキサー計画 ハイレッド・センター直接行動の記録』,赤瀬川原平,ちくま文庫,1994
『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』,黒ダライ児,grambooks,2010
『戦争と万博』,椹木野衣,美術出版社,2005