「東京計画1960」丹下健三
- “A Plan for Tokyo, 1960”, Kenzo Tange
- 更新日
- 2024年03月11日
1961年に建築家・丹下健三が発表した東京の都市構造に関する改革の提案である。発表された「東京計画1960」の美しい模型写真は、建築業界のみならず社会全体に大きなインパクトを与えた。同計画では、高度成長期の急激な人口増加に対し、東京における中世以来の「求心型放射状」の「閉じた」都市構造が耐えきれなくなるとして、新たに都心から東京湾を超えて木更津方面へと延びる「線形平行射状」の「開いた」都市構造を提案している。海上の都市建設については、日本住宅公団の総裁であった加納久朗による「加納構想」(1958)や、菊竹清訓の「海上都市」(1959)や大高正人の「海上帯状都市」(1959)など、当時すでに数多くの提案があった。しかし、黒川紀章による都市と建築とを有機的に統合する新たな交通システムとしての「サイクル・トランスポーテーション・システム」や、磯崎新による複数のコア(エレベータや設備等が配備された垂直シャフト)の間をオフィスがつなぐ「ジョイント・コア・システム」など、丹下研究室の若いメンバーの画期的なアイデアを取り入れた「東京計画1960」の提案は、非常に密度が濃く群を抜いた内容となっている。同計画は、「大東亜コンペ」案や「広島ピースセンター」に続く丹下による都市デザインの最高峰といえ、世界的に見ても「成長」や「増殖」といったCIAM(近代建築国際会議)解体以降の都市デザインにおける中心テーマに対し、明快で美しい形を与えたとして高い評価を得ている。
補足情報
参考文献
『新建築』1961年3月号,「東京計画1960 その構造改革の提案」,東京大学丹下健三研究室,新建築社
『新建築』1978年11月号,「『東京計画1960』の背景にあったもの(日本の現代建築)」,渡辺定夫,新建築社
『丹下健三』,丹下健三、藤森照信,新建築社,2002