同潤会
- Dojun-Kai
- 更新日
- 2024年03月11日
大正13(1924)年5月に、内務省が関東大震災の義捐金を支出して設立した、日本で初めての公的な住宅供給組織。設立から18年の間に、小規模戸建て住宅の供給、そして、都内13カ所、横浜2カ所に及ぶ鉄筋コンクリート造の集合住宅の建設を進めた。中庭を囲み、地域特性に応じた共用施設を配置した「同潤会アパート」の数々は、新しい都市居住のあり方を実現させた集合住宅として名高い。例えば、家族や単身者向けの住宅を織り交ぜ住み方の経年的変化を可能にし、長期居住を支えた江戸川アパート、社会進出のため新たな住宅需要者となった女性に向け共用食事室などを配置した大塚女子アパート、不良住宅改良を目的に都市街区を再構成して福祉施設や診療所を併設した猿江裏町共同住宅などである。しかし、そのほとんどが老朽化や再開発などによって取り壊され、現在は上野下アパートを残すのみとなった。取り壊し後の再開発の例としては、代官山アパート跡地の《代官山アドレス》(2000)、青山アパート跡地の《表参道ヒルズ》(2006)などがある。後者では、歴史的建造物の保存問題に配慮して、建築家安藤忠雄の設計によりアパート一棟分が「同潤館」として再現され、商業施設の一部となっている。同潤会は、庶民住宅供給策改善を目的として39年に住宅制度調査委員会を設置しているが、震災以前からあった住居法案検討という国家的な住宅政策の試みを引き受けてのことであった。結局、住居法制定には至らなかったが、同潤会解散後も、その事業は、第二次世界大戦中の庶民住宅供給機関として設立された住宅営団や、住宅営団の解散後に設立された日本住宅公団に引き継がれている。
補足情報
参考文献
「同潤会研究会による『住居法案』の検討 その先見性と意義について」,『現代福祉研究』3,本間義人,法政大学,2003
『建築計画』,長澤泰編著、在塚礼子、西出和彦著,市ヶ谷出版社,2005
『復興建築の東京地図 関東大震災後、帝都はどう変貌したか』(別冊太陽 太陽の地図帖 10),松葉一清監修,平凡社,2011