「ニューヨーク・アンデパンダン」展
- “The New York Independent Show”
- 更新日
- 2024年03月11日
「ニューヨーク・アンデパンダン」展は、1917年に独立芸術家協会が開催した展覧会である。13年の「アーモリー・ショウ」で、当時ヨーロッパの最先端とされていた作品群との実力差を見せつけられたアメリカの美術家たちは、国立デザインアカデミー(National Academy of Design)の官立主義を脱却し、新進気鋭の美術家たちに発表の場を与えるべく、無審査・自由出品の年次展覧会を企画した。第1回展覧会は17年4月にニューヨークのグランド・セントラル・パレスで開催され、国内外からおよそ1,200人の芸術家が参加し、総作品数が2,500に達する非常に大規模なものだった。展覧会はフランスの独立サロンを模して行なわれ、参加費用は6ドル(今日の貨幣価値に換算して100ドル強)、無審査の理念を貫くために出品作はアルファベット順に陳列された。出品者の多くはアメリカ人だったが、ピカソやブランクーシなど、ヨーロッパの芸術家も参加した。その中のひとり、マルセル・デュシャンはリチャード・マット名義で《泉》を出品し、これによって本展覧会は歴史に名を残すことになる。《泉》は男性用便器を横に倒してサインをしただけの作品であり、デュシャン自身がこのアンデパンダン展の委員であったにもかかわらず展示を拒否され、会期中に観衆の目に触れることはなかった。のちにデュシャンは委員を辞して抗議を表明し、彼に賛同するダダイストたちは『The Blind Man』誌上で激論を交わした。同展覧会は、その野心的な試みゆえに、芸術上の表現の自由と制度の矛盾を端的に表わす契機になったといえる。このように展覧会は多くの問題をはらみつつ出発したが、翌年以降は規模を大幅に縮小し、44年を最後に閉幕した。