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パリ青年ビエンナーレ

Biennale de Paris(仏)
更新日
2024年03月11日

第五共和制誕生を機に創設された文化省はパリ市やセーヌ県と共にビエンナーレ協会を組織し1959年4月にパリ・ビエンナーレ開催を決定。アルジェリア戦争下の厳しい予算のもと10月に批評家レイモン・コニア総代表の尽力でパリ市立近代美術館で開幕。初代文化大臣マルローは「仏文化にとってパリが受け入れ都市、自由都市であり続ける」必要性を強調し戦後のニューヨーク派、ロンドン発ポップ・アートの躍進のなかで前衛の主導権争いから外れたパリの国際美術界での復権を試みた。ヴェネツィア、サンパウロのビエンナーレが著名作家を対象としたのに対しパリは20歳以上35歳以下の若手を対象とし、仏の若手批評家や美術関係者からなる審査委員会と各国独自委員会が分かれて選考を行ない賞金と滞在費を授与。第一回は42カ国が参加、ラウシェンバーグ、ティンゲリー、クラインらその後第一線で活躍する若手を集め、急速に多様化を進める国際的展開を美術館の枠組で紹介。文化行政とパリ美術批評界が協力関係を構築し新エコール・ド・パリの硬直状況に風穴を開けた。総代表はジャック・ラセーニュ(1967、69)、ジョルジュ・ブダイユ(1971-85)が引継ぎほぼ隔年開催、71年に国別選考の原則廃止、内容別展示への移行の改革を行なうが、74年創設のFIAC !など競合行事に押され新機軸を打ち出せずラ・ヴィレット開催の85年を最後に中断。その後2004、06年に世界各地で関連行事が行なわれ現在に至る。

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参考文献

Biennale de Paris : Biennale de Paris : une anthologie,1959-1967,Salles de la Fondation nationale des arts plastiques et graphiques
Biennale de Paris 15 2006-2008 : XV Biennale de Paris : du 1er octobre 2006 au 30 septembre 2008,Biennale de Paris,2007
L’art et ses institutions en France,Gérard Monnier,Gallimard,1995
『美術手帖』1973年12月号,美術出版社,1973