パロディ
- Parody
- 更新日
- 2024年03月11日
作品の独創性を信奉する価値観とは対照的に一種の模倣、あからさまな反復行為としての作品を提示する手法がパロディである。様式、手法、体系といった枠組みを転用することもあれば、テクストを元々あった意味/文脈、品位の水準から逸脱させて(そのまま)引用するということもある。有名な例としては、モナリザの複製に対してヒゲを付け加えた、マルセル・デュシャンの《L.H.O.O.Q.》(1919)が挙げられる。鑑賞者は頭の中にある「モナリザ」の姿と、眼前の作品の差異にこそ釘付けとなり、それ以外はまったくそのままの転用であるために、文脈の奇妙なズレに感情を揺り動かされることとなる。このようなパロディ性は、既製品を利用し、デュシャン自身が「レディメイド」と呼ぶ作品群にも現われている。このように、パロディにおいて行なわれていることとは、テクストを構成する大きな枠組みと諸要素にそれぞれ冷静な目を向け、それらを分断し心理的な距離をおくことだ。パロディが反復を行なうことでいっそう際立つのは類似よりも差異となり、ここに見る者の批判的/批評的まなざしを喚起する効果が生まれる。「様々な制度、体系が自らに言及し自らを再生していくからくり」(リンダ・ハッチオン『パロディの理論』)であり、自己言及・自己反射の手法とも言えるだろう。
とはいえパロディの定義は錯綜しており、時代をまたぐ明確な位置づけも見当たらない。諷刺と区別がつけにくく、時には剽窃とすら混同される。パロディの特徴である引用元との奇妙な差異はユーモアを伴うことも多いが、必ずしも嘲笑・軽蔑的側面が含まれるものではないことに諷刺との区別を見る必要がある。パスティーシュも模倣として定義の一部分を共有する概念ではあるが、ズレ・逸脱といった側面を強く持たない。また、写真家の白川義員とデザイナーのマッド・アマノのあいだで争われた「パロディ・モンタージュ事件」では、引用元作品の同一性保持権とパロディ作品の表現の自由の関係が法廷で審議された。
補足情報
参考文献
『知的財産法の系譜』,「『パロディ写真』の文化史的背景」,岡邦俊,青林書院,2002
『マルセル・デュシャン』,カルヴィン・トムキンズ(木下哲夫訳),みすず書房,2003
『パランプセスト 第二次の文学』,ジュラール・ジュネット(和泉涼一訳),水声社,1995
『知的財産権法と競争法の現代的展開』,「今なぜ『パロディー』なのか パロディーと同一性保持権の再検討」,松田政行,発明協会,2006
『パロディの理論』,リンダ・ハッチオン(辻麻子訳),未来社,1993