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表現主義(美術)

Expressionismus(独), Expressionism(英)
更新日
2024年03月11日

広義には、グリューネバルト、アルトドルファー、デューラーなどのドイツ・ルネサンス絵画、あるいはゴッホやムンクらの近代絵画に至るまで、非自然主義的な描写によって、内面的な感情表出や主観的な意識過程を外的な世界観の歪みによって強調するような芸術の傾向のこと。もちろん、「内面」や「意識」を意識的に外的形式へと表出可能にしようとする近代的傾向が表現主義の概念を準備したとも言える(20世紀初頭には、北方ルネサンスの再評価が美術史家H・ヴェルフリンらによって進められた)。20世紀半ば以降には、「抽象表現主義」や「新表現主義」などと呼ばれる潮流も生まれた。表現主義の語は建築、音楽、舞踊、文学などの領域でも使用されるが、狭義には、20世紀初頭のヨーロッパで生じたフォーヴィズムから「ブリュッケ(橋)」や「青騎士(ブラウエ・ライター)」の活動へと至る一連の流れを指すことが多い。デア・シュトゥルム画廊が発刊した同名の雑誌で、1911年に表現主義の概念がより限定的にドイツを中心とした当時の芸術動向を表わすものとして使用されたのが初期の使用例である。そのため、時代的には、それ以前の印象派やポスト印象派とは逆の語義(Impressionismに対するExpressionism)を持つことが意識されていたことになる。05年には、固有色を無視した強烈な色彩と筆触によって後の抽象絵画の展開に繋がる絵画的実験を行なったブリュッケがドイツのドレスデンで結成された。ブリュッケの中心的画家E・L・キルヒナーは、ベルリンの街を遊歩する人々を対象として、都市社会の神経的な刺激作用を表現主義的な様式で描き出したが、彼らはほかにもパラオ諸島の彫刻、中世ドイツの木版画、アフリカ・オセアニア美術、エトルスク美術などの土俗的・原始的な文化様式を「発見」し、それらを現代生活の感情的・精神的形式と通底させようとした。このように、原始性において来るべき民衆の姿を(再)発見するという過程は、エジプトや東洋の芸術、民俗芸術、児童画を年刊誌『青騎士』で紹介した「青騎士」(1911年結成)にも通じるものである。ところで、青騎士で活動したW・カンディンスキー、P・クレー、L・ファイニンガーは後にバウハウスの講師に迎えられており、またクレーやファイニンガーの描き出すプリズム状に色調が変化する画面はドイツの建築家B・タウトの「ガラス建築」のヴィジョンに通じるものだった。加えて、バウハウスの初代校長であるW・グロピウスは、初期にはタウトの影響下に表現主義建築を手がけていたことから、合理主義的・機能主義的方法によって開かれた文化的実践の拠点となったバウハウスの根底には、表現主義の潮流が深い影を落としていたと考えられる。

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参考文献

『ドイツ表現主義5:表現主義の理論と運動』,河出書房新社,1972
『ドイツ表現主義4:表現主義の美術・音楽』,河出書房新社,1971
『ドイツ表現主義の世界:美術と音楽をめぐって』,神林恒道編,法律文化社,1995
『ドイツ表現主義の芸術』,土肥美夫,岩波書店,1991
『ドイツ表現主義の誕生』,早崎守俊,三修社,1996
『表現主義の建築(SD選書)』,ヴォルフガング・ペーント(長谷川章訳),鹿島出版会,1988
『完全版 夜の画家たち:表現主義の芸術』,坂崎乙郎,平凡社,2000