フュウザン会
- Fusain-kai
- 更新日
- 2024年03月11日
大正期の美術団体。1912年10月、東京京橋にあった読売新聞社の3階で、斎藤與里、岸田劉生、清宮彬を中心に、それぞれの友人たち計33名が集まって「ヒユウザン会」展を開催したことに始まる。会名は、フランス語の木炭(fusain)から。続く13年3月の同じ会場で開催された第2回展で、「フュウザン会」と改められた。同会はメンバー間の意見の対立により、その第2回展をもって約半年間の短い活動を終える。だが同会は、それまでなかったほど多くの青年画家たちが参加したことで、新聞にも取り上げられ、新しい美術運動として注目された。また、特に主義主張もない代わりにゴッホ風からマティス風まで雑多な表現が混在していたが、単純化された造形、大胆な筆致、強烈な色彩、そして主観や感情の吐露といった特徴を共有していた。それはアカデミズムの表現と対極をなす、日本における表現主義的な動向の先駆だといわれている。ほかにも、高村光太郎、萬鉄五郎、木村荘八、川上涼花、田中恭吉など、後に大正期を代表する美術家たちを輩出したことにおいて、同会の日本近代美術史上の意義は大きい。
補足情報
参考文献
『大正期美術展覧会出品目録』,東京文化財研究所編,中央公論美術出版,2002
『躍動する魂のきらめき 日本の表現主義』,東京美術,2009