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ミュージアム・シティ・福岡

Museum City Fukuoka
更新日
2024年03月11日

福岡県福岡市の天神地区を中心に、1990年に「ミュージアム・シティ・天神」として始まったアート・プロジェクト。98年からは博多部にエリアを拡大し「ミュージアム・シティ・福岡(以下、MCF)」となる。運営は企業、行政、美術関係者の三者で組織される非営利団体の「ミュージュアム・シティ・プロジェクト(以下、MCP)」によって行なわれている。なお、MCPという名称は 2002年以降、プロジェクトの総称としても使われている。1990年に山野真悟、当時福岡市美術館の学芸員であった黒田雷児、地元企業に勤める長浜弘之の3人によって構想され、のちに事務局長となる宮本初音が運営に加わり実施された。MCFは50年代から70年代にかけて盛んに行なわれていた野外美術展に見られるような、外部を指向する美術館の流れを汲みながら、九州派のように反権力的な姿勢ではなく、福岡という都市空間の中で「美術が都市の中で流通するシステム」を形成するための「実験」として位置づけられた。また、企業メセナの広まりやバブル経済による大型商業施設の建設ラッシュ、行政のまちづくりに対する意識が高まっていたことも、プロジェクトを後押しした。第1回である90年には、天神の商業施設や公共空間を利用して、日本人作家を中心に53組のアーティストが展示を行なった。また、91年にはMCPの運営で「中国前衛美術家展〔非常口〕」が開催された。特に蔡國強による廃線を爆破するイヴェントは、MCPだけでなくアジア美術を紹介する窓口としての「福岡」の名を全国に知らしめることになった。98年には開催エリアを広げるとともに、市民参加型の企画やワークショップ、アーティスト・イン・レジデンス事業なども開始された。MCFは近年隆盛している都市型アート・プロジェクトの先駆的事例であり、その動きは90年代に見られた美術の変容と重なるものである。

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補足情報

参考文献

『ミュージアム・シティ・プロジェクト1990-200X 福岡の「まち」に出たアートの10年』,山野真悟、黒田雷児、宮本初音編,ミュージアム・シティ・プロジェクト出版部,2003
『アートが知りたい 本音のミュゼオロジー』,岡部あおみ,武蔵野美術大学出版局,2005
『社会とアートのえんむすび1996-2000 つなぎ手たちの実践』,ドキュメント2000プロジェクト実行委員会,トランスアート,2001
「広島アートプロジェクト2009  いざ、船内探険! 吉宝丸(きっぽうまる)」展カタログ,「日本のアートプロジェクト その歴史と近年の展開」,加治屋健司,広島アートプロジェクト実行委員会,2010

注・備考

※「ミュージュアム・シティ・プロジェクト」は運営を行なう非営利組織の名称であったが、2002年以降はプロジェクトの総称としても使われている。