モンマルトル
- Montmartre(仏)
- 更新日
- 2024年03月11日
パリ北部セーヌ川右岸の18区に位置するパリで最も高い丘。モンマルトルの丘にあるサクレ・クール寺院(1919)からパリを一望できる。もとはパリ郊外のブドウ畑の広がる農地であったが、19世紀のオスマン男爵のパリ中心部大改造で住まいを失った人たちが移転先を求めた地区のひとつ。1860年にパリに統合された頃から安家賃のアパートを求める芸術家たちが集まるようになり、20世紀初頭にかけて芸術家の集まる場所として知られるようになる。なかでもクリシー通りにあったカフェ・ゲルボアにはマネを慕うF・バジール、ドガ、モネ、ルノワール、A・シスレー、セザンヌ、ピサロら印象派の若い画家らが日曜日と火曜日に定期的に集い議論を重ねた(バティニョール・グループ)。また、ラヴィニャン街の安アパート「洗濯船」はピカソが《アヴィニョンの娘たち》(1907)を制作し、マティス、ブラック、レジェ、ドラン、デュフィ、ユトリロ、M・ドニ、K・V・ドンゲンらフォーヴィスムやキュビスムの画家の集合アトリエとして有名であり、アポリネール、コクトー、G・スタインら文学者も出入りした。1910年代に入ると観光地化と家賃の高騰が進み、第一次世界大戦のパリ空爆でパリ近郊が被害を受けたため、多くの芸術家は左岸のモンパルナス周辺へ移動し芸術家村としての特色は薄れた。近年では映画『アメリ』でのモンマルトルの都市景観を活かしたシーンが印象的。
補足情報
参考文献
『モンマルトル風俗事典』,鹿島茂,白水社,2009
『落日のモンマルトル』(上・下),ルイ・シュヴァリエ(武藤剛史,塩川浩子,大島利治,鹿島茂訳),筑摩書房,1999
『歓楽と犯罪のモンマルトル』(上・下),ルイ・シュヴァリエ(河盛好蔵, 鹿島茂,円子千代子,大島利治,武藤剛史,戸張規子訳),筑摩書房,1992