「読売アンデパンダン」展
- Yomiuri Independent Exhibition
- 更新日
- 2024年03月11日
1949年、読売新聞社主催によって発足した、フランスのサロン・デ・アンデパンダンに倣った無審査、無償の自由出品形式の年次展覧会。発足時の正式名は「日本アンデパンダン」展であったが、主催者名から「読売アンパン/読売アンデパンダン」と通称され、また47年から日本美術会主催が開催していた同名の展覧会も存在していたため、57年の第9回から改称。当時は画廊も一般化しておらず公募団体展がほぼ唯一の発表の場であったため、作家たちにとって自由な発表が可能な貴重な舞台となった。開始当初の出品者は画壇の有名作家の顔ぶれが主であったが、公募団体に属さない一群のいわゆる「アンデパンダン作家」を育み、とりわけアンフォルメルの影響が顕著に現われた57年の第9回と翌年の第10回あたりから発表作品の急進性が加速していった。既成の美術概念を大きくはみ出すその無秩序状態を端的に示す言葉が、第12回展出品作に対する東野芳明の評から生まれた「反芸術」であった。第14回開展には作品撤去の事態も生じ、翌第15回には会場の東京都美術館が猥褻、汚穢、危険、不快といった作品を締め出す6項目の「陳列作品規格基準」を設けてアンデパンダンというたてまえが破られることになったが、この基準がそのまま当時の出品作の状況を物語っている。この時点で破綻は目に見えており、ついに64年の第16回展直前に主催者によって突如中止が通達された。個々の作家はもとよりネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、九州派、ハイレッド・センター、時間派、ゼロ次元などこの展覧会と密接な関わりを持つ重要な動向は数多く、結果として60年代の日本の美術を象徴する伝統的な展覧会となった。
補足情報
参考文献
『前衛の道』,篠原有司男,ギュウチャンエクスプロージョン!プロジェクト実行委員会,2006
『反芸術アンパン』,赤瀬川原平,ちくま文庫,1994
『反芸術綺談』(新装版),菊畑茂久馬,海鳥社,2007
『日本アンデパンダン展全記録──1949-1963』,瀬木慎一監、総合美術研究所編,総美社,1993
『前衛の遺伝子──アナキズムから戦後美術へ』,足立元,ブリュック,2012