「1953年ライトアップ展」論争
- “1953 Light up” Polemic
- 更新日
- 2024年03月11日
1996年に目黒区美術館で開催された「1953年ライトアップ 新しい戦後美術像が見えてきた」展(多摩美術大学・目黒区美術館・朝日新聞社共同企画)をめぐって、美術評論家の峯村敏明と美術家の池田龍雄を中心に、北澤憲昭や彦坂尚嘉、針生一郎が加わった論争。おもに『新美術新聞』を舞台にして、1年あまり継続した。論争の主要な争点は、1953年に光を当てた同展が、同年に開催された「第1回ニッポン展」(青年美術家連合・前衛美術会共催)や、その年の前後に制作された社会的なリアリズム絵画の動向を意図的に除外したことにあった。同展を鑑賞した池田龍雄は、この時代を美術家として生きてきた立場から、たとえば山下菊二の《あけぼの村物語》(1953)に代表される、いわゆる「ルポルタージュ絵画」の動向や、「第1回ニッポン展」で発表された河原温の《浴室シリーズ》が、ともに53年の歴史的事実であるにもかかわらず取り上げられていないことに疑問を呈した。これに対して、同展の企画者である峯村敏明は、左翼系の「活動」と絵画としての「作品」を峻別したうえで、社会的なリアリズムの絵画には主題上の前衛を支えきるだけの造形的な自立性が欠けていることを、その排除の理由として挙げて反論した。この「異心円のぶつかりあい」(瀬木慎一)のような応酬は、了解点を見出すどころか、双方の立場のちがいをますます浮き彫りにする結果に終わった。つまり戦後美術の歴史を貫くモダニズムとリアリズムという対立構図が、依然として強く働いていることをあらわにしたのである。
補足情報
参考文献
『新美術新聞』(1996年7月11日),「『1953年ライトアップ』展を見て」,池田龍雄,美術年鑑社
『新美術新聞』(1996年11月11日),「否定のために食卓は用意しないものだ 池田、北澤両氏の批判に応えて」,峯村敏明,美術年鑑社
『新美術新聞』(1997年10月11日),「特集 『1953年展論争』をどう見るか その評価と問題点を探る」,美術年鑑社