10月26日はアーティストの藤浩志さんがかじこにいらっしゃいました。「藤浩志と藤島八十郎とかじこの話」と銘打って、瀬戸内国際芸術祭の作品である藤島八十郎の家について、また藤さんについて、いろいろと話をしていただきました。八十郎について話すのはかじこが初めてとのこと。イベントの予約はすぐいっぱいになり、襖を取り払ってつなげた二つの部屋には、かじこ史上最大級の人数が集まりました。ほんの一部だけですが、藤さんの話をご紹介します。
・素材研究からはじまった
「もともと真面目なので(笑)、素材研究ということをずっと考えてきた。日本画をやっていたこともあって、この顔料とこの顔料を混ぜるとどうなるかを考えるのと同じように、この場所をどう使うとどうなるかということを、ずっと考えていた。それが鴨川を使ったインスタレーションである「鴨川泳いだこいのぼり」(1983)や、街中をゴジラの着ぐるみを着て歩いた「ゴジラとハニワの結婚離婚問題」(1985-86)などの作品につながっている。当時はわからなかったと思うが、「空間をつくる」、「場を使う」、「仕組みをつくる」ということをいままでやってきた」
・場をつくる、仕組みをつくる
「院生の頃から、美術にだまされないぞ、いかにして美術にだまされないようにするか、ということを考えていて、何かをつくることにだまされずに、何かをつくる「場」をつくることを大事にしてきた。仕事を始める前にまず机をきれいにするみたいに(笑)、何か面白いことが起きる場をつくるということ。そして仕組みをつくること。あと家いじりはずっと好きで1988年頃からやってきたので、これらが八十郎の家につながっている」
・八十郎の家
「実は、八十郎の家って僕の家と似ているんです。僕の家に、宇野澤ってやつの本が加わっている。家いじりをするとき、何かあればすぐホームセンターに行ってたのだけど、豊島には幸いというか不幸にもというか、ホームセンターがなかった。そこで、いっそのことまったく材料を買わずに、あるものだけで八十郎の家をつくったらどうかということになった。僕は分類が好きで、ものを分類して並べることに幸せを感じるのですが(笑)、八十郎の家をつくるときも、徹底的にこえび隊(ボランティアスタッフ)に分類してもらった。すごく細かい破片まで分類したので、もうあと5年くらいは活動がつくられるんじゃないか」
・役立たずの八十郎のこと
「架空の人物である八十郎は絵本作家を目指しているという設定だけど、絵が描けないし話もつくれない、ダメな人。でもダメっていうのはすごく重要。ある集団に他者を入れることで、閉鎖的な関係が変わっていくということに興味があって、昔滞在していたパプアニューギニアでは、他者にあたるものが霊なんですが、そいつのせいにしたり、責任を押しつけたりしちゃうことで、もともとの集団の関係が変わっていく。豊島でそれをやろうとしたとき、生身の人間、リアルパーソンだと、いろいろな問題を抱え込んでしまう。そこでその役目を八十郎という架空の人物に託した。役立たずの八十郎のせいにして面白いことをやるという手法で、豊島という(生身の)島を切り抜けていく」
・話がつくれない絵本作家
「八十郎は絵本作家を目指しているが、絵が描けないし話もつくれない。でもだからこそ島の人に、「八十郎が話を探しているんです」と、話を聞かせてもらうことができる。また最終的に絵本という媒体にすることで、いろんな小さな物語を落とし込むことができると思った。誰々とこんなことを話したとか。かじこでもそうだけど、記録集に載るような大きな物語もあれば、ささいなできごともいっぱい起こっているはずで、そういう小さな物語が面白い」
・豊島の話
「もともと豊島のことは知っていた。鹿児島で市民運動に関わっていた1993年ごろ、パフォーマンスや文章など、アート活動で社会を変えることができると思っていたが、実際には変わらなかった。その時期、産廃の処理問題を巡る中坊公平氏と豊島の住民たちの活動の様子を見て、中坊氏の弁護士という枠を大きく超えたふるまいはパフォーマーやアーティストのものであると思ったし、また彼を中心とする豊島の住民たちの団結力に驚いた。豊島に関わりたいと思っていて、話が来るとは思っていなかったが、来たら絶対関わってやろうと思った」
・八十郎のこれから
「八十郎をつくる、というプロジェクトだが、実はまだつくれていないと思う。ただ、それでもいいかなと思っている。次の段階につながっていくことが大事。八十郎はこれからも豊島で活動していくつもりらしいが、兄弟がいるという噂もあるので(笑)、日本のどこかでまた彼らと会えるかもしれない」