前回のエントリーでは、震災後、ボランティアとして東北に駆けつけた、美術家のタノタイガ氏を紹介させていただきました。今回はその逆方向、南西に移動したアーティストを紹介します。
震災による福島第一原発の事故発生以来、人々に与えている多大な被害と不安は止まる気配がありません。そんな中で東京から郷里の熊本に活動拠点を移したのが、建築家の坂口恭平さんです。彼が熊本で面白い活動を始めたという話を、あるアーティストから聞きました。
さっそく坂口さんの名前でネット検索をすると「新政府ラジオ」というUstreamのサイトがヒット。どういうわけか七尾旅人さんのLIVEの録画映像がある。再生してみると、普通の家の和室に坂口さんが座っていて、カメラに向かって「あ、録画しとこうか…えーっとあのー…入ってますかねこれ」と、たどたどしい放送が始まる。しばらくして、七尾さんがアコースティックギター一本で歌い始める。とても優しいメロディー、優しい声、優しい言葉。歌のバックに、その場にいる子どもたちの声が入っている。それも伴奏の一つであるかのように、七尾さんは歌い続ける。このLIVEの前々日、坂口さんは、twitterでこのように呟いていました(以下、引用は坂口さんのtwitterのアカウント@zhtsssから)。
さあ、みなさん音楽を聴きましょう。七尾旅人の歌声を、ギターの音を。小さなゼロセンターという点から鳴った音楽を、みなさんで共有できればと思います。2011.5.28 坂口恭平(05/28 22:57)
そして、LIVE翌日のつぶやき。
人々の愛情が、ゼロセンターには集まって来ている。これは一体どういう人間活動なのだろう、と考えている。昨日の七尾くんの歌声もそうだったし、集まって来たみんなとの触れ合いもだけど、何か人々がどこかのレイヤーで繋がろうとしているような能動的な意識を強く感じるんです。(05/31 10:44)
私は、このゼロセンターという場所は一体どんな場所で、何を目的に作ったのかを知りたくて、熊本に向かいました。その日、どしゃぶりの雨の中で初めて訪れたゼロセンターは、古い木造の一軒家。家の裏側は、大雨で増水した川。家の中に入ると、一階は畳の部屋と台所と便所、二階はさらに広い畳の部屋。そこに、大人が7〜8人、子どもが5〜6人、そして子犬が1匹。坂口さんが一人ずつ紹介してくれました。多くの人は、福島第一原発から少しでも遠く離れた場所に早く移住したいと考えている母親と、その子どもたちでした。
雨で外に出られないのが退屈なのか、3人の小学生くらいの女の子が坂口さんにまとわりついて「ねえ、そとにつれてってよ、はやくつれてって、ねえねえつれてって」とおねだり。「わかったよ、わかったから、もうちょい待ってて」と坂口さん。子どもたちは、ゼロセンターでの生活や、ここで初めて会う大人たちにも、すっかり慣れているようでした。
一見すると、坂口さんがやっていることは被災者の移住支援活動のようにも見えます。が、「まったく慈善活動じゃないです。慈善って大嫌いなんですよ。これは自分のアートとしてやっているんです」。その言葉を裏付ける彼のtwitterがありました。
アートワークということにして避難計画しようと思っていたら、やっぱりアートワークだったと再認識した笑。さらに、避難というものをアートワークにしようとしたら、避難とかそういうのはどうでもよく、場を作ること、人を集めること、議論することを空間を作ろうとしてたんだと(06/02 11:25)
そして彼は、ゼロセンターを拠点に「新政府」を樹立して「初代総理大臣」に就任。「いやー、自分が総理大臣になってみて分かるけどさぁ、菅さんも大変だなぁと思うよ」と、女子3人にまとわりつかれながら笑う坂口さん。
僕はただの善き人ではない。新政府初代内閣総理大臣なんです。社会を創らないといけない。新しい貨幣の捉え方を示さないといけない。お金は蜜柑よりも食べられないから使えないという世界にさせないといけない。同時に原発から人々を守りたい。全国で崩壊してしまっているコミュニティを取り戻したい。(06/07 22:57)
つまり、これが「政治」なんじゃないか、と僕は思っているんです。そして、真の「政治」こそが、つまるところ「芸術」なんじゃないかと思っている。だから、僕はこんなことを始めたのではないか。これはそういう意味では革命をしようとしているのかもしれない。33歳のまだまだ若輩者ですがよろしく!(06/07 22:59)
きっと、坂口さんの「芸術」を嗤う人もいるでしょう。そして、彼を嗤うのと同じように、今の「政治」を嗤う人もきっと多いはずです。ですが、次の彼のつぶやきが、私の胸を突き刺すのです。
馬鹿にしたり、傷ついたり、諦めたり、思考停止になったり、愚痴ったり、人に文句いうくらいなら、実際に動こうよ、と。どんなふうに思われてもどうでもいいじゃないか。元々棒に振った人生。投げやりになるのではなく、着実に馬鹿らしいことをやり続けようじゃないか。そこにはちょっとの希望を込めて(06/17 13:31)
その「着実に馬鹿らしいこと」に共感するアーティストたちが、次々と坂口さんに連絡を取り、ゼロセンターを訪れ、そして新たな政策が動いているようです。先日、仕事で上京した坂口さんが、熊本に戻ったときのtwitter。
熊本に帰ってきました。久々にゼロセンターへ。子供に囲まれ、だっこしてくれコール笑。まだ梅雨なので、みんな遊びたくてたまらんのだろう。今回の移動でもまた新しい発想が浮かんだ。どうやって実践していくか。面白くなってきている。避難計画の後に次は新政府としての行動を始めようと思っている(06/19 18:32)
建築家、坂口恭平氏の壮大な芸術は、まだ始まったばかり。そして、いつか熊本が芸術の都になる日が来ることを、期待しましょう。