こんにちは、水野です。
今回は、Studio Mumbaiからファッションを考えることをしてみたいと思います。それでは、そもそもStudio Mumbaiとは何か、というところからまずご紹介していきましょう。
Studio Mumbaiは、建築事務所ですが非常に変わった仕事の方法論を持っていますので、
その方法論がどのようにファッションの社会性と関連をもつことができるのかについて
お話できたらと思います。
設立者のBijoyJainさんは、アメリカとイギリスで建築を学び、仕事をした後
1996年にBijoy Jain+Associatesを立ち上げ、2005年にStudio Mumbaiを設立されました。
2010年のヴェネツィア・ビエンナーレで特別表彰を受けたりと、精力的に活動をされています。
YouTubeでBIjoyさんが自身の建築について話をされている映像があるのですが、Laurie Bakerという建築家に多大なる影響をうけているということでした。
Laurie Bakerは、イギリス人の建築家ですが半生をインドで過ごし、現地で調達できる材料と工法を援用しながら、施工に大きく関わる現場の建築家として活動されました。
その建築は決して派手なものではないのですが、非常に美しく、機能的で、
そしてなにより社会的に維持可能であるという点がすばらしいなと思いました。
そんなBIjayさんのレクチャーを聞く機会がありました。
非常に刺激的なレクチャーでしたので、その内容を思い出しつつファッションと関係づけて話ができたらと思います。
まず、Studio Mumbaiは、「人・自然・機械」の共存から建築を捉えようとしているとのことです。3者の間にヒエラルキーを作らずに建築をつくるにあたり、
外界からの影響下のもと、遮断せずに共存するため
「もろい建築」(vulnerable architecture)を目指すということでした。
雨、風、砂など、外界の諸条件と共に過ごすことから、視覚重視の文化に対し「体験」することを促し、内外の2元的構造を乗り越えようという姿勢が見て取れました。
インドの日常的な実践としてのad hocなデザインがインスピレーション源として多く紹介されました。
そして、Studio Mumbaiは「参加型デザイン」の方法論を極めて重要視しているとのことです。事務所のメンバーのほとんどが、左官職人や大工ということで、決して正規の建築教育を受けてはいないが、ものづくりをする力が彼らにはあります。その力を引き出すために、並列的な制作方法論をとり、建築家が図面を描いて渡して作ってもらうというのではなく、ドローイングを職人たちと交わし合うことから漫才の掛け合いのように密度を上げていくとのこと。フルスケールのモデルなどをつくり、クライアント、建築家、職人、さらには関係ない地元の人まで巻き込んで、みんなで制作プロセスを共有していくというプロセスを経て建築を成立させようとするということでした。
Studio Mumbaiでは、建築家のビジョンとクライアントの求めるものの「あいだ」を目指す、ということだそうです。
さらに、職人たちの紹介の中で、「建築の姿勢・態勢」(posture of architecture)ということを指摘されていました。姿勢というのは、職人たちが体を自由に操り作業に従事するということで、両足の指で板をはさみつつ、両手で板を加工したりする、ということです。Studio Mumbaiでは建築を建てるための道具も自分たちでつくることがあるようで、その中には身体も対象となっている、ということの現れなのでしょう。Bijayさん曰く、素材によって建築が制限されるのではなく、姿勢が失われることによって建築が制限されていくのだ、というのです。
この考え方にも「人・自然・機械」の共存が重要視されているように感じました。
ざっというと、以上の3点、「人・自然・機械」「参加型デザイン」「建築の姿勢・態勢」の3点が非常に面白いなと思いました。例えば、ファッションにおいて「人・自然・機械」とは、生産のプロセスから利用のプロセスまで幅広く捉えていくことが可能でしょう。ただ単にクールビズだウォームビズだ、というだけでなく、汗をかくからタオルを巻いたり、寒いから厚着をしたりするような、日常的な実践としての外界との
共存の中でデザインを考えることも可能であろうと思います。女子高生がブランケットを持ち歩くカルチャーがなぜか一時期はやりましたが、寒いときに巻いたり、膝掛けにしたりとエアコンで強制的に温度が管理されている空間での柔軟な生き方があるように感じます。
また、「参加型デザイン」のプロセスにおいて、神話化されたかのような制作プロセスを
共有することの楽しみもファッションで展開されてもいいのでは、と思っています。
現在、多くのデザイナーがワークショップなどを積極的に行い、学習、体験する時間をその参加者と共有している状況を考えると、ワークショップのみならず、自身の制作においても積極的な関与をもつことも重要なのではないかと思うのです。
実際に製造、利用する人の気持ちを理解することで、製造工程の最適化や製品の改良などにもつながる点はおおいにあるだろうと思います。
もちろん、建築と異なり、ファッションだとデザイナー自身が裁断し、ミシンを踏むこともできます。ですが、オーケストラの指揮者のように、全体を統括する役割ももっていることは確かですので、「つくりかたをつくる」ことを考えるのも重要ではないかと思っています。
それから、「姿勢」ですが、例えばミシンなどの道具によって手縫いすることが減ったように、手でつくるプロセスによって実現するモノも数多くあるかと思います。ただ単にノスタルジックに「手作り」を復権させるのではなく、手でできたことの多様性を捉え直すことから、新しいデザインのカタチを模索することも可能でしょう。
効率よくモノをつくり、安価に販売することによって、衣服は私たちの生活において
かつて「自分で作り、直すもの」から、「買い替えるもの」になってしまいました。
自らが積極的な関与をものづくりに持つためには、デザイナーがその余地を与えることも
大切ではないかと思っています。それは機能的な側面のみならず、感覚的な側面もあるでしょう。ファッションであれば、社会的な側面もあるでしょう。
与えられたものとして服、社会、環境を考えるのではなく、自分から変えてみるという
ことを強く意識させられたレクチャーでした。
みみみみ