こんにちは、水野です。
今回は、ソーシャル・イノベーションとしてのものづくりを考えてみたいと思います。ソーシャル・イノベーションとは、簡単に定義づけると、社会の様々な構成要因を鑑みて新しいやり方や在り方を生み出すことです。ソーシャル・アントレプレナーが目指すところとも似ていて、一定の社会的意義を持つ提案を生み出すこと、とでもいえるでしょうか。
最近よくビジネスの分野で話されているデザイン思考とかイノベーションといったバズワードがありますが、それはビジネスが経済のみならず、社会的使命を持とうとしている結果なのかもしれません。ですが、金銭的成功ばかりが目立つ事例もやはり多くあり、個人的にはArchitecture For HumanityといったようなNPOの活動の方が興味があります。もちろん、NPOのスタッフは給料を貰ってやっていっているわけですし、ビジネス的見地から完全に切り離されたものづくりは不可能です。
とはいえど、ものづくりの社会性を考えたとき、既存のものづくりのドメインから取り残された人たちと共にやっていくことはとても大切だと思っています。
というわけで、ソーシャル・イノベーションとしてのものづくりは、社会的意義を持つ新しい仕組みづくりによる提案をものを通して行い、これまで扱われなかった物事の状況を良くすること、と一応規定しましょうか。
僕自身もインクルーシブ・デザインの活動を通していろいろとやっているところがあるので、それはまた次回にお話できたらと思います。
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ちょうど、8/5 17:00−19:00には京都造形芸術大学ウルトラファクトリーにて同じテーマでFabLabから田中浩也さんを、RAD(Research For Architectural Domain) の榊原充大さんと川勝真一さんを、司会進行にぽむ企画の平塚桂さん、たかぎみ江さんをお招きしてレクチャーを、更には6、7とワークショップを開催し、7日16:00−18:00には合評を
http://www.ustream.tv/channel/kenchanneljp
にて放送する予定になっていますので、その内容もふまえてご紹介させていただきつつ、ファッションとも関連する内容をご紹介できたらと思います。
FabLabに関しては前タームでもブログをFabLabで書かれていたので割愛したいところですが、興味深いのは田中浩也さん自身はかつてプログラミングを専門として活動されていたのが、一巡してモノへと還ってきた、という点でしょうか。レクチャーではBack To The Future Groundと題して、どういう経緯でそこにたどり着いたのか、どうしてそういう経緯をたどったのか、そしてそこにはどのような可能性があるのか、といった点についてお話して頂けたらと思います。どうやら「世界を変えるデザイン」展などが重要そうです。
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RADのお二人はまた多岐に渡り建築の周縁を旋回しながら様々な形で活動されています。展覧会やレクチャー、ワークショップの企画から建築の設計に至るまで、その活動は幅広いのですが今回は、グラフィティ・リサーチ・ラボ京都について、Space For Ourselvesについて、マティアス・コーラーとStudio Mumbaiについて
話をしてもらえるといいなと思っています。
グラフィティ・リサーチ・ラボは、RADとhanareらが実は2009年に京都に招聘して、一緒に活動をしていたんです。それがグラフィティ・リサーチ・ラボ京都になります。その時の紹介のサイトがこちら:
http://www.grlkyoto.net/about.html
>Evan Roth(エヴァン・ロス, 写真上)とJames Powderly(ジェームズ・パウダリー, 写真下)によって2006年に結成される。彼らのねらいはグラフィティライターやアーティスト、デモ参加者やいたずら好きたちに新たなコミュニケーションのためのオープンソース・ テクノロジーを提供することで、人々が広告や権力に取り囲まれた環境をクリエイティブに変える力を獲得することにある。レーザーポインタで建物に光のグラフィティを描く「L.A.S.E.R Tag(レーザータグ)」やLEDを使った「LED Throwies」、「Eyewriter (半身不随となったグラフィティライターのために、目の動きだけでレーザーグラフィティを描くことができるシステム)」など、フリー・テクノロジー/DIY精神に満ちあふれる技術や道具の開発をおこなっている。彼らの技術や道具を使い都市への介入を試みるプロジェクトが、アムステルダム、ウィーン、ブラジル、メキシコ、香港、東京など、世界各地で増殖中。GRLのプロジェクトは、MoMA、テートモダン等のアート施設や、5大陸全ての街中でも発表されている。また、GRLの2人はネットをベースにした「The Free Art and Technology(F.A.T)Lab」も設立している。
アーティスト活動に近いのですが、映像で都市空間をハッキングしたりする、というアイデア自体はMITにいるクシシュトフ・ヴォディチコの作品にも影響されたところが見受けられます。両者に共通しているのはある種の社会的コメンタリー、あるいは批評性でしょうか。都市への介入の仕方がグラフィティ文化やオープンソース・テクノロジーをふまえてつつ、我々を挑発する作品を提示するという意味では極めて多義的な活動です。単純にソーシャル・イノベーションとはいえないレイヤーがあるところがいいところですね。というか、美術作家やデザイナーがこれまでやってきたことは沢山ありますから、ソーシャル・イノベーションを専門で見ている方はそこらへんを見るべきでしょうね。
3331でも展示されていたSpace For OurselvesはRADが企画したものですが、建築的文脈において公共性を再考するというテーマからでてきた企画のようです。参加している若手建築家が模型を通して様々な提案をしているのですが、震災後の建築の在り方について、あるいはコミュニティデザインやまちづくりとの関係性において建築家たちの考えがかたちとなって現れています。
マティアス・コーラーはデジタル・ファブリケーションを建築設計の中に積極的に取り入れていますが、かたやStudio Mumbaiは以前のブログにも書いたように、手作りです。デジタルものづくりとアナログものづくりの狭間から、得たもの、失ったもの、取り返しているものなど、「ものづくり」の多様性を考えることから創造性を捉えていくという話になるのでしょうか。いずれにしても、建築におけるソーシャル・イノベーションというテーマでRADのお二人にはお話してもらうのですが、ものづくりのこれまで対象とされて来なかった人々の介入という意味での開かれた設計プロセスについて、デジタル/アナログの関係性がどう多様性を担保するのか、建築的視座がどのような位置づけによって、これまでなかった社会との接点を作り出すことができるのか、などについて伺いたいと思います。
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司会進行は、AXISなどでも連載を持ちつつ、様々なところでライター、講師として登場するぽむ企画のお二人にお願いしています。
(ぽむ企画の「ぽむ」という名前の由来は、どうやら吉田戦車の金字塔「伝染るんです。」で肩をたたいたときの音だそうです。)
お二人の興味が建築に根ざしながらもとても間口が広いところが、とても興味深いところです。これまでには「けんちく家対決」や、「ケンチクナイト」といったコンテンツに代表されるように、自身がメディアを作り出しながらも、建築において扱われる様々なトピックを咀嚼することから建築の愉しさを伝えている、重要なお二人です。
http://pomu.tv/taiketsu/wakasin.html
http://pomu.tv/kenchiknight/present.html
ぽむ企画のお二人が田中浩也さんと昔から建築を通してお知り合い、というところも非常に面白いところですね。
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こんな5名のゲストをお迎えしてレクチャーとワークショップは展開していくのですが、ファッションにおいてソーシャル・イノベーションとはそれではどのような関係性をもつことが可能なのか。なんとなく考えてみると、例えば
http://www.nytimes.com/2010/08/15/fashion/15waste.html?pagewanted=1
http://www.newschool.edu/parsons/events.aspx?id=54744
Zero Waste Garmentというプロジェクトを実施したNYの美大、パーソンズ。このあいだのAXISでも取り上げられていました。
パーソンズはsustainable designとかinterdisciplinary designとかdesign thinkingとかを押し出してやっているように見受けられます。もちろん、RCAやセントラル・セント・マーティンズもリサーチやイノベーションをやってはいるのですが、パーソンズがただ「カッコイイ」だけの服づくりから抜け出た活動をしているように見えます。アントワープは、ソーシャル・イノベーションの文脈からはだいぶ離れてしまい、「表現」をひたすら学習する場になっているようです。はたしていつ頃までこの路線をファッション教育は突き進むのでしょうか。「カッコイイ」のは当たり前で、そこにより強い社会的意義をもつ服というのも、もっと研究されたり実践されたりしてしかるべきではないか。
社会的使命を持つプロジェクトの立案、多様な技能をもつチームによる運営、ユーザーとの対話や恊働などは、ファッションでは難しい場合も勿論あります。例えば、イノベーターの台頭によってデザイナーの特権性がなくなる、というような趣旨の話をたまに見聞きしますが、ファッションデザイナーという特殊な職業はある種の「時代を読んで、形にする」力があると言われています。それがいいかどうか、そんなものが存在するのかどうか、メディアがねつ造しているだけではないか、といった課題は別としても、デザイナーのもつ直感的理解は、どのように他の職種の人でも可能になるのか。創造性の民主化を夢見る人は、どのようなトレーニングを受けるべきなのか。たとえば「自分でデザインした服」より「デザイナーがデザインした服」よりも良い、という状況は、どのような社会的構造の変化の上に根ざしているのか。つまり、消費と生産を支える体系自体を批判対象としつつものづくりを引き受けるということでしょうか。
例えば、消費と生産と「分解」によるサステナブルな仕組みを考えることはできるはずです。つまり、社会学的見地からのみならず、素材学的な見地からも、ものづくりを捉え直すことも可能でしょう。例えばそういうデザイン教育がファッションにもあれば、素材とデザインとの関係性を問い直すことができるデザイナーがでてくることも可能ではないかと思っています。ファッションの領域で、スキルドジェネラリストの育成はどのようにすべきなのか。様々な課題、あるいは職種の人と関係を自らつくりだせるような人材としてのスキルドジェネラリストがファッションからも輩出されたらなあと思います。
みみみみみみみ