こんにちは、水野です。
前回、ソーシャル・イノベーションとしてのものづくりについてお話し、レクチャーとワークショップをウルトラファクトリーにて行うという旨をご説明しました。とても愉快なレクチャーとワークショップでしたので、ご興味がある方はぜひ録画のUSTREAM (番組名はkenchanneljp)をご覧になっていただけたらと思います。
僕は現在イギリス・ロンドンに仕事があり、戻ってきています。暴動がおきた直後ということもあって緊張しながらロンドンへと赴いたのですが、こちらは危険は日常の中に埋没してしまったかのような状況です。誰しもがどこかで緊張しながらも、表面化していないような空気感が漂っています。とはいっても、ロンドンに僕が住んでいたときには爆弾テロなどがあり、同様に恒常的に危険を感じながら日常を過ごす状態になることは以前にもあったのですが。。。
今回の暴動がある種のフラッシュ・モブスの仕業なのかどうなのか。それはさておいても、暴動はイギリス社会における社会的包摂の限界を感じるものでした。
社会的な階層がはっきりあるこの国では、労働階級(ワーキングクラス)は、なかなか仕事にありつけない状況が続いています。教育のせいなのか、そもそも生きるためのモチベーションの向上が難しいのか、階級差別があるのか。とにかく、ワーキングクラスの社会的包摂を考えていかなければならない状況であるのは確かです。とはいっても、イギリスは労働階級に関する課題と少なくとも100年はつきあっている訳で、もはやその解決は不可能に近いのかもしれません。
以前のブログにインクルーシブデザインについてお話させて頂きましたが、今「尊厳のためのデザインリサーチ」というプロジェクトを病院・障がい者支援施設・特別老人養護施設の3つのフィールドを対象に行っています。プロダクトデザイナー・インテリアデザイナー・建築家がそれぞれのフィールドを担当しつつ、僕はユーザとデザイナーを架橋するためのデザインリサーチを行っています。3つの施設に共通するのが「関係性」というキーワードで、社会空間としての施設における対人関係や権力構造に注目しながらデザインに反映できないかと思っています。
例えば、特別老人養護施設ではユーザたる入居者同士の関係、あるいはスタッフとの関係がその場でのQuality of Life(QOL)に多大なる影響を与えます。閉鎖的社会空間におけるソフトの改善はハードの改善へ、あるいはハードの改善がソフトの改善と不可分ですので、サービスデザインのみならずインテリアデザインによっても大きく変わるところがあるのではないかという仮定に基づいて、いろいろとやっています。この成果は11月に京都大学で発表する予定になっておりますので、どうぞ御期待ください。
ファッションにおいても同様のことがありそうです。ターミナルケアとしての衣服によるQOLの改善。メイク教室などもその一環といえます。あるいは外出したりする機会をつくることによって自己表象について積極的に実践することなど。関係性を構築するという意味ではファッションはとても重要なメディアであり、メディウムであり、メディエーターなのかもしれません。
さて、ロンドンでそんなことを考えながら文章をかいているわけですが、生きる意欲がなければインクルーシブデザインは目的なき合目的性を追求しているにすぎないことになります。主体的に疎外されている人が社会的包摂を目指せるような状況づくりのためには、よりよく生きる意欲、モチベーションがないとどうにもならない。モチベーションをまずつくりだすためには、デザインをするための状況づくりのための素地として、教育や就労機会のみならず実に包括的な計画が必要です。ソーシャルデザインと呼称されている領域です。果たしてロンドンの暴動を起こした人々のためにデザインは何ができるのか。。。極めて包括的で難しい課題に思えます。
生きるモチベーションが低い人を改善することから始まり、一定のサービスを経て、改善された状況が持続する仕組みとしてのソーシャルサービスデザインとはどのような形をとりえるのか。そんなことを時差ぼけの中考えてみました。
みみみみみみみみ