こんにちは、水野です。
今回は9/23、24、25と行うデザインシンポジウム/プロジェクト、DESIGNEASTについてご紹介したいと思います。僕を含む5人の実行委員、そして数多くの素晴らしいボランティアスタッフによって展開しているDESIGNEASTですが、その目的は「デザインする、あるいは考える状況デザインして、大阪、関西に創造的な場を取り戻す」ことです。そのためには、みんなが繋がる場をつくること、日本中から人を招き、学び取ること、自然と意見が交換され人的ネットワークが構築される場を目指すこと、などが必要です。そこで、去年DESIGNEAST01は「SOCIAL SUSTAINABILITY」と題した3日間に渡る様々なコンテンツを用意しました。今年、DESIGNEAST02は「周縁と中心」と題して、様々な角度から周縁と中心に関する話を展開していきたいと思っています。
去年は「SOCIAL SUSTAINABILITY」と題しつつ、「都市への介入」「維持可能なシステムを目指して」「デザインを市民へ」と3つの軸となるコンセプトを抽出し、それぞれに当てはまるキーノートスピーカーに登壇いただくというシステムを採用しました。「都市への介入」においてはグラフィックデザインをとおしてソーシャルデザインを行うJESKIさんを、「維持可能なシステムを目指して」ではアメリカのNPO、Architecture For HumanityからNathaniel Corumさん、Stuido-Lの山崎亮さん、アーティストの椿昇さんを、そして「デザインを市民へ」では1974年に大量生産・大量消費への批判としてのセルフビルドプロジェクトを展開したEnzo Mariさん、そして2人展「何をすべきか」のパートナーであったGabriele Pezziniさんを招聘しました。
ワークショップでは、マイクロパトロン/マイクロペイメントの仕組みとDIWOの仕組みの両方を組み合わせたセルフビルドのワークショップを展開。図面を購入した人が材料も購入すればデザイナーの手助けの下、実際にモノをつくることができるという内容です。図面の価格の半分がデザイナーのローヤリティとなるというシステムでした。
さて、今年は「周縁と中心」というテーマで、様々なスピーカーを招聘しました。今回は軸となるコンセプトはデザインのジャンルに位置づけていますが、プロジェクトやシステムのデザイン、建築、プロダクト、ファッションなどなど、そのジャンルは多様です。「実行委員各自が1つは企画し、司会を担当すること」というルールの下、僕は今年2つの企画を担当していますので、どういう趣旨の人選で、どういう見地から議論を巻き起こしたいのかをご説明できたらと思っています。
まず、今回のテーマ「周縁と中心」とは、やはり東日本大震災と無関係ではありません。ツイッターなどのソーシャルメディアに代表された震災直後の情報交換の速度と密度をふまえると、「集団による動的編成は、デザインの民主化を夢見る」ことが可能なのか。消費型社会から循環型社会へ、所有から共有へ、1人からP2Pへ、これまで「中心」とされてきた仕組みをゆるがすような「周縁」の可能性について私たちは考え、実践していかなければならないのでは、と思います。
そんなことを考えつつ、まず9/23に「ファッションデザイン」の周縁と中心をテーマに、4名のゲストと共にお話をしていきます。Fashionsita共同責任編集の蘆田裕史さん、ココノガッコウやwrittenafterwardsの山縣良和さん、ドリフターズインターナショナルから建築家の藤原徹平さん、同じくドリフターズインターナショナルからシアタープロダクツの金森香さんの4名をお招きしてお話をしていきたいと思っています。
「ファッションデザイン」では、「創造性をはぐぐむ、認める」といったところが重要になりそうかな?と思っています。
というのも、批評誌を一緒にやろうとしている蘆田くんといつも話になりますが、「どこにいったら過去の作品があるのか」「だれが過去の作品をちゃんと評価しているのか」「どういう評価の仕方があるのか」すらままならないのに、どうやってより創造的な状況をつくりだすことができるのでしょうか。ファッションにおけるビジネスをその理由として業界関係者はよく指摘しますが、他のジャンルのデザインでもビジネスは存在しています。ファッションにおける創造性とは単なる付加価値として、作品の表象に現れるのみなのか。それとも、社会を変革するようなデザインを作り出すことができるのか。ファッションデザインは、他のデザインのジャンルとは異なる点も多々あります。それでは、過去から私たちは何をどう学ぶことができるのか。たとえば、アーツアンドクラフツ、未来派、ロシア構成主義などの作品から何を学び取ることができるのか。もっといえば、90年代や00年代にファッションでは何が起きていたのか。そんな意味でも、「歴史」を振り返り、今を知り、未来を創造するというのも重要かと思います。
また「教育」という点も重要になりそうです。ココノガッコウもドリフのファッション研究室も、オルタナティブな方法と場所で「ファッションについて考え、実践してみる」ことを促しているのではないかと思います。日本では、ファッション業界に関係する人の多くが専門学校にいっていた人が多いのですが、そこでは徹底的な技術ベースの指導が展開されています。「デザイン思考」とか、「デザインリサーチ」とか、そんなことをいっている人をきいたことがありません。ファッションデザインとは問題解決のためのデザインではない?ということかもしれませんが、創造性を構築するプロセスは神話化されたままです。例えば、それを振り返ってみる。考え直してみる。新しい方法論を見つけてみる。そうする為には、一定程度、プロセスを言語化し、非-神話化(あのデザイナーは天才だ!)をしていかないといけない。少なくとも、社会的問題を解決するためにもファッションが存在しうるのは自明ですから、そういったことを促すなら絶対に「天才」だけに依存していてはいけない。方法論を伝え、もっと多くの人にも問題に挑戦する方法や機会を作り出すことが、全体としてより創造的な状況をつくりだすことになるのではないか。技術の上に創造的なアイデアが搭載されることによって、実現可能となる様々なデザインについて考え、実践してみることについてもお聞きしていきたいと思っています。
さらに、「コミュニティの生成」というのも面白そうな点かなと思っています。それは、特に建築においてとても顕著なものであったと思っています。勉強会、シンポジウム、セミナー、展覧会など、あらゆる形で建築では様々な事象が議論されてきました。そうしてコミュニティが生成され、そこで議論されたことが共通言語となり、優れた実践例が創出されてきた経緯があります。藤原徹平さんのスピーチが的確なのも、そうやって議論の場で養われた結果なのではないか。あるいは金森さんがシアタープロダクツにおいて、または山縣さんがwrittenafterwardsにおいて、独特の作品の発表形式を選定していくこと -時にはそれが牧場であったり、ARであったり、秘密のショーであったり- などを通して作品の世界観を常に強く見せること、顔の見える距離で生産者/消費者が設定されることで、「一定のコミュニティ」が持続されていくのではないか。となれば、「大量消費」「大量生産」を目指す必要性、ひいては従来の「産業体系」ですら再考できうる状況もつくれるのではないか。ファッションショーをただやればいいという状況ではなく、インターネットの利用や、イベントの開催などによって形成されたコミュニティと「共に」やっていける状況の可能性についてお話できたらと思います。
ファッションデザインの周縁と中心を考えるにあたり、「創造性をはぐぐむ、認める」ことを中心に、「歴史」「教育」「コミュニティの生成」という3つのキーワードをそれとなく出してみました。とにかく、ようやくファッションデザインも「考えて作る」状況も認めつつあるような状況です。みなさん、ぜひ足を運んで頂いて、みんなで共有して、状況を変えるにはどうすべきか考え、実践していくことができたらと思います。
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ピンバック by DESIGNEAST02 周縁と中心の開催のお知らせ « changefashion.net — 2011年9月9日 @ 13:03