井上陽水の少年時代、とっても好きです。世間の皆さんは長袖やらジャケットを羽織っていますが、あいかわらず僕は半袖のまま。ようやく涼しくなって「夏は過ぎ、風あざみ〜♪』という気分です。さて今回は〈秘密基地ヲ作ロウ。〉とは全く関係ないのですが、この夏の思い出を書こうと思います。僕はこの夏、ある小学2年生の少年と一緒に富士山を登りました。
不思議な縁があって、かれこれ富士山には20回近く登っていると思います。昨年は山頂に建つ気象観測台、富士山測候所の中で3週間寝泊まりもしました。初めて富士山に登頂したのは1998年7月24日、僕の20歳の誕生日。中学からつきあっている親友のユウジと一緒に、眼下一帯に広がる雲の海の中から昇ってくる御来光を眺めながら、僕の20代が幕開けたのでした。
実はこのときは富士山2度目の挑戦。最初の挑戦もユウジとでした。富士山のことも、登山のことをろくに知らなかった僕ら。ユウジの何気ない「明日さ、富士山に登ってみない?」の一言に火がついて、翌朝、僕とユウジの二人は御殿場駅前に立っていたのでした。今であれば、インターネットで検索すれば富士登山に必要な装備、適切な登山時期のことなんて簡単に分かるのだけれど、まだまだそんな時代じゃなかった。中学の最初だけをワンダーフォーゲル部に籍をおいていたユウジの、今思えばいいかげんだけれど真剣な指導を元にかき集めた装備をザックに詰め込み、意気揚々と須走口行きのバスに乗り込んだのだった・・・・と、ココまでは威勢が良かったのですが、何も知らない僕らは3月が登山シーズンじゃなくバスも五合目まで行かないことをバスの運ちゃんから教えられ、「せっかくここまで来たんだから・・」と浅間神社の前でバスを降り、遥か下から富士山を目指したのでした。その日は3月とはいえTシャツ姿でも快適な陽気だったのだけれど、4合目に近づく頃には雪の上を歩く羽目になり、「富士山の砂対策にはハイカット!」と履いてきたバッシュはツルツルすべって完全に失敗。それでも5合目までは何とか辿り着き、どちらともなく「日も暮れてきたから帰ろう」と、冬富士を前にぶざまに敗退したのでした。
あれから10年以上の月日が経ち、その間に僕は南極へ行き、富士山測候所で3週間生活し、一応標高6000メートルを体験し、オマケに肺水腫まで経験し、ちょっぴり偉そうに講演なんかもさせてもらい、「村上さんは冒険家ですか?」と質問されるようになったのでした(冒険家ですか?の質問には完全否定しています。笑)。
この夏僕と一緒に富士山を登った男の子の名をジュンといいます。きっかけは、僕のトークイベントを聴きに来てくれたある女性からのメールでした。
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ひとつ質問です。
小学2年生の男の子でも、富士山の頂上まで登ることはできますか?
学校の授業になじめずに、自信を無くしている現在小学1年生の男の子がいるのですが、
その子を誘ってみようと思っています。
七夕の短冊に「まっちょになりたい」と書くキュートな子で、
エネルギーは有り余っているのに、学校の授業に参加できずにフラストレーションがたまっているようです。
本人にはまだ聞いていませんが、まっちょになりたい夢には近づけますよね。
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このメールを読んだ僕は「一緒に登ろう。」とすぐに心が動いていました。こうしてこの夏の旅が始まったのです。〈秘密基地ヲ作ロウ。〉が本格的にスタートする前に、このひとりの少年と一緒に旅をすることができたこと。僕にとっても初めてのこの経験は、いま巣鴨小学校の子どもたちと接する上での確かな自信になっています。
少し長くなってきたので、旅の続きの話はいつかまた今度にしようと思います。
それではまた。