KENCHIKU | ARCHITECTURE・・・その1

現在、フランスはパリで「KENCHIKU | ARCHITECTURE 2011 」というイベントを開催している。これは日本とフランスの若手建築家総勢12組が参加し展覧会とトークイベントを行なうというもので、すでに3日間のトークセッションとラウンドミーティングを終え、今月の10日まで展覧会が続けられる。これはRADだけでなく複数のメンバーによるコラボレーションと成り立っているKENCHIKU ARCHITECTURE実行委員会が主催し、会場になっているl’ESA(パリ建築特別大学)の協力のもと実現したプロジェクト。今回からは、フランスと何のゆかりもなかった我々がどうしてこのプロジェクトにいたったのか、またそこにへどのような思考が介在していたのかについて述べていきたい。

オープニングの様子。 ©Benoit Cavaro

©Benoit Cavaro

記憶に残っているという方もいるのではないかと思うが、3年前の2009年に東京のギャラリーがいっせいに建築の展覧会を開催した事があった。東京の名のあるコマーシャルギャラリーでの建築展は過去に例がなく、それなりに注目を集めていた。その意図のひとつに建築の図面や模型という建築資料のもつ価値やその保存状況についての問題提起という側面が含まれていたことは確かだろう。その直接のきっかけかどうかは分からないが、同時期にフランスのポンピドゥーセンターが戦後の日本建築を回顧する展覧会を開催するという趣旨の発表を行っている。すでに同センターでは、モダニズムから現代に至るまでの建築図面や模型などをアーカイブしており、一部ではこれを機に日本の戦後建築の貴重な資料が海外に流出してしまうという危機感が高まっていたように思う。というのも、戦後の日本は高度成長の流れに乗り多くの国際的にも著名な建築家、建築を生み出してきたが、その図面などの貴重な資料は国、もしくは学会などによる組織的な保存、収集がなされてこなかった。ごく一部の建築家の資料は、ゆかりのある大学などに提供され保存研究されている。(よって、現実にはすでに戦後日本建築史の中にあって重要な役割を果たしたと思われる建築作品については、その最良の資料が海外の建築博物館などに収蔵されている。しかしながら日本のように設備も制度も貧弱な状況にあっては、国外であっても整備された状況で保存がなされる方が結果としてよいのかもしれない。)

話しを戻すと、このポンピドゥーセンターの動きに対して、同じ日本建築をとりあげつつも歴史化する事を目的とするのではなく、日本の建築の現在進行形の動きを提示する事で、フランス側の提示するパースペクティブを揺さぶり、相乗的に日本建築への理解が深まる事を目指したのがKAの始まりで、それは2009年の夏にフランス人留学生のBenjaminとの会話の中から生まれてきたアイデアだった。当然のことながら、経験も実績もない、たかだか活動初めて1年足らずのRADと、当時はまだ学生だったBenjaminにとってはかなり無謀な構想としか思えなかったのも事実でだ。とはいえ、具体的に口に出してみることで状況は変わっていくもので、冬になるころには興味を示してくれたフランスの組織にむけて企画書をせっせとこしらえるという所まで漕ぎ着けていた。驚く事に企画書の最初の送付先は(今ではちょっとした話しのネタになってしまっているが)ルーブル美術館だった。

この時期はまだ実行委員会というカタチではなく、repを運営している会田君と時田さん、そしてギャラリー勤務の四柳さん、Benjaminと大学の後輩でパリに留学経験のある田村さんらが、インフォーマルなカタチで関わってくれていた。よく年の5月には会場の決定に向けてパリに向かった。

つづく。。。

ブロガー:川勝真一
2011年11月6日 / 09:52

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